認知症になった実母と義母、脳出血の夫、6人の子どもたち…家族全員を支えるために、奮闘したある女性。ときには認知症の実母と、ほかの家族との間に軋轢が生じたことも。この長く、つらい戦いをどうやって乗り越えたのか?

 長年、認知症当事者を多く取材してきた著者のノンフィクション作家、奥野修司氏の最新刊『認知症は病気ではない』(文春新書)より一部抜粋してお届けする。なお、登場する認知症の人とその家族はすべて仮名である。(全2回の1回目/後編を読む)

写真はイメージ ©getty

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暴言・暴行の背後にあるもの

 家族を悩ませる周辺症状の中で、「徘徊」に次いで多いのが「暴言・暴行」だといわれる。認知症の人がそんな手荒い行動をとるのには、〈暴言・暴力のような攻撃性の背景には不安がある〉からだという(参考文献:山口晴保『認知症ポジティブ!』協同医書出版社、2019)。

 認知症の人は、自分が壊れていくような不安感でいっぱいだ。症状の進行次第で数分前の記憶も保持できなくなる。記憶が消えたら自己の存在があやふやになり、身の置き所がなくなって不安感が増大する。そんなとき、失敗した記憶がないのに失敗したと詰られたら、本人は不満だろう。それが毎日のように重なれば、やがて耐えられなくなって暴言や暴行につながっても不思議ではない。

 アパートで一人暮らしをしていた邦子さんに、ATMが使えなくなるなど認知症の症状があらわれたのは80歳になる手前だった。

 娘の絵美さんがそのことを知ると、嫁ぎ先の家族の承諾を得て母を引き取った。ただ当時は家に子供が6人もいたうえ、夫は脳出血で倒れて全身が麻痺してから胃ろうを造設していて、さらに姑は93歳と高齢で認知症の症状もあった。いわば、家族全員が絵美さんの肩にかかっていたようなもので、当時の彼女は「自分が自分でないような」毎日だったという。息を抜く暇もなかったから、認知症の母親を引き取ったものの、ゆっくり話し合う時間はなかった。

 邦子さんのほうは、娘の嫁ぎ先に馴染めなかったのか、突然、癇癪を起しては大声をあげたり、家を飛び出したりするのでたびたび大騒ぎになった。思春期を過ぎた子供たちは、そんな邦子さんに反発した。すると「感情の起伏が激しい母だから、大きな声でああだこうだと言うので、子供たちもカッとなって言い返す」ことがあり、暴言のバトルになった。そんなときは邦子さんを車に乗せて、落ち着くまでドライブをしたという。ただ子供たちも、おばあちゃんが行方不明と聞けば真っ先に探し回るほどだから悪意があったわけではない。掛け違えたボタンを修正できないまま、互いに反発した状態が2年ほど続いた。

 その当時のことなのか、邦子さんはこんな手記を綴っている。

前ではわすれたことをきにしていました。今はわす(れ)た事もおぼえていません。

おとなになったからことばもわすれました。ごめんなさい。字をわすれました。ごめんね。わたしはおはなしがすきです。でも話(し)た(く)ございません。(略)私が話すと人がぐじゃいっとられていやになった。「おはなしはやめます」と云った。だから家でもだまっています。

むすめ(と)話したいことがありますが、口でとめました。我が家でむすめにはなしたいが、むすめもいそがしいのでやめました。(邦子)

 それが、今ではすっかり穏やかになったと絵美さんは言う。