就学や就労などの社会的参加を避けて、長期間、家庭にとどまり続けている「引きこもり」。内閣府の調査によると、日本には現在、約146万人の引きこもり当事者がいるという。

 兵庫県丹波市で生活支援員として働く糸井博明さん(50)も、14歳から31歳まで17年間、引きこもりを経験したひとりだ。長期の引きこもりによって、「死ぬ一歩手前」まで心身が疲弊。31歳のときに精神科病院の閉鎖病棟に入院し、統合失調症と診断された。

 糸井さんはいったい、どのような引きこもり生活を送っていたのか。17年間の引きこもりから脱却するきっかけは何だったのか。話を聞いた。(全3回の2回目/3回目に続く)

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糸井博明さん ©山元茂樹/文藝春秋

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母から「学校に行きなさい」と言われたが…

――中学2年生で引きこもりになってしまった糸井さんに対して、ご家族はどのような対応だったのですか。

糸井博明さん(以下、糸井) 最初は母から「学校に行きなさい」と言われていたと思うんです。でもその頃には私の体が大きくなっていたから、壁をドンドン叩いたり、暴れたりして反発していました。

 それでも母は、しばらくは私のことを気にかけていたんですけど、日中は自宅兼店舗で美容師の仕事をしていて忙しいし、私がうるさくするとお客さんに迷惑がかかるから、次第に放っておくようになって。

――お母さんと話し合うようなことは。

糸井 なかったです。幼い頃から自分だけ狭い部屋をあてがわれたり、学習教材を買い与えられなかったりして、愛情を注いでもらってないと思っていたから、母との信頼関係が構築できていませんでした。

家族とはコミュニケーションを取らないようにしていた

――お父さんやおばあさんからは何も言われず?

糸井 父は外に働きに出ていたし、小学校の高学年から口をきかなくなっていたから、そもそもコミュニケーションを取っていなかった。

 祖母には、幼い頃は入信教育と虐待のようなしつけをされていたけど、中学生になってからは力が強くなって、抵抗できるようになっていたので、何か言われたら暴れて反発して。