1979年作品(140分)
松竹
2800円(税抜)
レンタルあり

 現在公開中の映画『64(ロクヨン)』は近年の日本映画では珍しく、出演陣の演技にストレスを感じなかった。中でも主役の佐藤浩市と、後編に登場する緒形直人が素晴らしい。いずれも眼差しや面影が、三國連太郎と緒形拳――両名の父親を彷彿とさせる瞬間があった。

 そこで今回は『復讐するは我にあり』を取り上げる。緒形拳と三國が凄まじい演技対決を見せつけた作品である。

 緒形が演じるのは主人公の榎津巌。連続殺人犯である。一方の三國はその父・鎮雄を演じている。鎮雄は敬虔なクリスチャンで、暴力などいかなる悪徳も否定して生きてきた。榎津はそんな父に反発して、若い頃から犯罪に手を染めてしまうことになるのだ。

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 両者の初めての対決は、物語中盤に訪れる。妻・加津子(倍賞美津子)と鎮雄の関係を疑って挑発してくる榎津に対し、鎮雄は斧を持ち出して自らを殺すよう榎津に迫る。以前、鎮雄は加津子の肉欲の誘惑に負けかけたことがあったが、最後は打ち勝った。それだけに榎津の疑いに我慢ならなかったのだ。だが榎津は嘲笑(あざわら)うだけで、取り合おうとしない。

 見た目は地味で平凡、人当たりも良く笑顔も朴訥としている。が、目だけは全く感情がなく、凍てつくように冷たい。そんなギャップある役作りにより、緒形は榎津の狂気を恐怖感たっぷりに表現していた。対する三國は、葛藤や怒りといった感情をいつも不安げに露わにすることで、鎮雄の生真面目さを表現する。この演技の温度差が、父子の決して交わることのない生き方を悲劇的なまでに浮き彫りにしていた。だが最後になって、両者は正面からぶつかる。

 それは、逮捕された榎津の前に鎮雄が現れる、拘置所の場面だ。「アンタはオイを許さんかもしれんが、オイもアンタを許さん。どうせ殺すなら、アンタを殺せばよかったと思うたい」と初めて本心を吐露する榎津に対し、鎮雄もまた今まで見せなかった姿を見せる。「ヌシはワシを殺せんばい。親殺しのできる男でなか」「恨みもなか人しか殺せん種類たい」と言い放つのだ。それだけではない。鎮雄は続けて、榎津に唾を吐きかけてもいる。「チキショウ。殺したか……アンタを……!」そう返すしかない榎津の表情からは、悪魔的な冷たさは消えていた。

 劇中たえず冷徹だった緒形の表情が徐々に怒気を孕(はら)みだす一方、良心を説き続けていた三國の口調が一瞬のうちに挑発的になる。静謐(せいひつ)な空間で名優同士が散らし合う感情の火花と、その果てに訪れる関係性の逆転劇――。極上の演技対決といえる場面だった。

 その息子たちは、父親の神業にどこまで近づいたか。『64』でご確認いただきたい。