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 同年4月、神奈川県小田原市の尼寺、願修寺の66歳の尼僧が寺を改修する寄付金を集めていることを耳にした大米は、信者を装って寺に訪れ5円を寄付し信用させたうえで、泊めてもらったその夜に強姦。翌日、寄付してくれる資産家を紹介すると偽り尼僧を小田原の海岸に連れ出し、海に突き落とし殺害した。この犯行で得た現金20円と、200円(現在の貨幣価値で約400万円)の預金は全て神戸・福原遊郭で散財している。

昼は窃盗、夜は尼寺へ

 同年夏、兵庫県川崎波止場で25、26歳の男性とケンカになり、相手を撲殺して福岡に高飛び。うどん屋を経営していた既婚女性の中山タマ(同40歳)と強引に関係を結び、翌1914年(大正3年)夏に共に上京し京橋の下駄屋に間借りした。妻がいれば部屋を借りやすく、目立ちにくいと考えての行動だったようだが、ここで大米は昼は仕事に出かけるふりをして窃盗を働き、夜は尼寺に押し入るという日々を送る。

昼は窃盗、夜は尼寺へ押し入っていたという。写真はイメージ ©getty

 同年9月、京都・西七条の尼寺、正覚寺を襲い、悲鳴をあげた庵主の舌を引き抜いたうえ、金品を奪い逃走。庵主は出血が止まらず1週間後に死亡した。翌10月、豊多摩郡戸塚町(現在の東京都新宿区)の諏訪の森地蔵堂に押し入り、72歳の尼僧を凌辱したうえ細紐で絞殺。金がなかったので、米3升と布団1枚を盗み大阪へ。しばらく住み着きひと稼ぎした後、東京に舞い戻り、今度は神田の洋服屋に間借りした。

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 翌1915年(大正4年)1月には鎌倉の感応寺に押し入り、美人尼僧として評判の教道(同21歳)を強姦・殺害し衣類数点を強奪。大米によれば、教道とは以前から情交関係にあったとのことで、後に犯行の模様を次のように語っている。