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―― アクション映画をペキンパーのパロディでなく、違う形でやる、お手本にするものが違ってきたんでしょうか。

黒沢 そうですね。小中もご存じだと思うんですけど、1970年代後半の当時、学生が撮る8ミリ映画というと、たいてい2つのパターンがあったんですよ。1つは恋愛ものですね。男女の大学生が知り合って、車で湘南の海に行こう、みたいなものですね。もう1つは、明らかに『仁義なき戦い』などの影響で、学生なんだけどサングラスなんかして新宿の裏通りとかを歩いている、ヤクザ映画、チンピラ映画のモノマネ。僕はそのどっちも嫌だったんですよ。かといってサム・ペキンパーのようなガンアクションみたいなものも絶対できないと分かっていた。『暴力教師』も『不確定旅行記』も『白い肌に狂う牙』も、恋愛映画でもなければヤクザ映画でもなく、試行錯誤していたんです。そうした時に、僕は長尾さんの映画を見た。僕の中にアメリカのアクション映画好きというベースはあったので、そこから全くかけ離れてはいなくて、恋愛映画ともヤクザ映画とも違う、そしてそこに蓮實さんから叩き込まれた、ゴダールの『アルファビル』などを代表とする、こういう言い方をしていいのかどうか分からないですけど、メタシネマですよね。映画についての映画でもある。長尾さんの映画を見た時に、「あ、この方向があるな」と分かって、『SCHOOL DAYS』『しがらみ学園』というところになったんだと思います。

©藍河兼一

8ミリで商業映画と勝負する

―― 黒沢さんは僕が現役の頃はもう卒業されていましたが、僕らの代の8ミリをいっぱい見て批評してくださいました。黒沢さんが僕の映画を見て言ってくださった言葉はよく覚えています。「小中の映画は商業映画と同じことをやろうとして、商業映画と比べて至らないところが目に付いてしまう。8ミリ自主映画だからこそ商業映画に勝てるところを戦略として考えないと駄目だ」と言ってくださったんです。

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黒沢 自分のことをそっちのけで(笑)。