立教大学で入ったサークルで本格的な8ミリ映画制作を始めた黒沢清監督。同時期、人生に大きな影響を与えることになる出会いがあった。好評インタビューシリーズの第6弾。(全4回の2回目/3回目に続く)
蓮實先生の授業で人生が変わった
―― 蓮實重彦先生の映画表現論は、立教に入る前から知っていたんですか?
黒沢 蓮實さんの名前も何も知らなかったんですけど、1年生で入ったらそんな授業があるので、映画の授業を受けて単位をくれるならこんないいことはないという感じで、わりと気軽に受けたんです。それは衝撃でした。その後の僕の人生すべて、映画を作ること自体も含めて、がらりとそこから変わっていったんです。僕は立教大学に5年間いたんですけど、後半商業映画の現場にも行っていたので全部は出られなかったんですが、行ける限り蓮實さんの授業は受けました。強烈でした。
―― 蓮實先生のどこが衝撃的でした?
黒沢 やっぱりもっとちゃんと映画を見なきゃいけないということですね。映画に何が見えているのかということと真剣に向き合えということ。あれだけ映画を大好きで見ていたのにもかかわらず、よく見るとこんなものが映ってるじゃないか、と気づかされた。蓮實さんに指摘されて、確かにそれが映っていると知ってビックリしたことは、大きな衝撃です。撮っている側も、間違いなく意識的にそれを撮っているんですね。あるいは場合によっては、普通は映りそうなのに、あえてそれを撮っていない。だから、映画を見ることでいろんな発見があるということから地続きで、撮る時も、じゃあこれを撮るんだ、これはあえて撮らないんだと、考えていくことに直結していきました。
―― 僕も4年間蓮實先生の授業を受けていたんですけれど、同じ衝撃を感じました。「次の週までにこの映画を見てきて」と言われて、次の週に学生が答える時、お話がどうとかテーマが何だとか言ったら駄目で、先生は「何が見えましたか?」という聞き方をしてました。「何が映ってました? それはどういう意味だ?」と。その見方が全く新しかった。それが、作り手はどういうつもりで撮っているんだという意識に変わっていくんですよね。
黒沢 そうですね。そういった非常に具体的な授業を通じて、映画って大好きだったわけですけど、好きで見ている、好きで撮っているというレベルじゃない、本気で人生かけて映画とは何なのか解明していく価値のあるものだと分かった。