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「だんだんコンパ、コンパになってきて」芸者は温泉コンパニオンに置き換わった

 そして90年代以降、芸者に代わって台頭してきたのが、温泉コンパニオンだった。ぽん太(元置屋経営者の女性・花田千恵子さん〈74歳〉の昔の芸名)はこの業態を「コンパ」と呼ぶ。

石和温泉で芸者をしていた芸名「ぽん太」こと花田千恵子さん。写真は昭和61年、芸者になりたての頃(本人提供)

「だんだんコンパ、コンパになってきて。お客さんもそのほうがいいって。芸者が呼ばれるときは、『今日は芸者だからね』って言って、女の子に着物を私が着せて。これで女子大生が芸者になる。芸はできませんけどね」

 バブルが崩壊したころには、芸者はほとんどコンパニオンに置き換わっていった。長引く不況によって社員旅行も数をぐんと減らしていき、ぽん太は10年ほど前に置屋を廃業した。

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「最後のころは、着物着ることは減って、ほとんどコンパ。それかスーパーコンパニオンですね」

「スーパー」はより過激な接客を売りにしたコンパニオンである。

ぽん太が経営すしていた置屋「分花ききょう」にいたコンパニオン。和服に着替えれば芸者となる(写真=ぽん太提供)

通りを歩く人は依然少ないが、廃墟ホテルがない!

 そして今、石和の温泉地はどうなっているのだろう。

 約20年前、平成15年の観光客の延べ人数は約440万人(※3)であったものが、コロナ禍の打撃を受けた令和2年には、約105万人にまで落ち込んだ(※4)。コロナ禍が落ち着いた令和4年には約195万人にまで回復してきている。近年二本、観光の柱が立ち上がってきた。

 令和の石和に暴力団の影などむろん一切なく、ぼったくり店もない。しかし通りを歩く人は依然少ない。それでもほとんどの宿が稼働しているようだ。山下氏に聞いた。昭和期に隆盛を誇った温泉地だと放置された廃墟ホテルが寒々しい風景を作っている場合がありますが、石和では目につきません。

「そうなんです。(廃墟ホテルは)石和にはありません。皆買い手がつくんです」

現在の石和温泉街。一本道に飲み屋が続くが、ときどき途切れるとぶどう畑が現れる(筆者撮影)

 その理由として、山下氏は団体客を取り込めるポテンシャルをあげた。高度成長期にはいってから整備された温泉地のため、たとえば各ホテルとも駐車場を大きくとってあり大型観光バスもなんなく入れられる。首都圏からの近さも価値を見出されている要因として加えていいだろう。