“伝説のヤマンバギャル”として雑誌モデルやタレント、俳優として活動していたあぢゃさん(41)。
ギャルを引退後は、フットサルプレーヤーやホステスとして生計を立てていたが、36歳の時に結婚。今は2児の母として子育てをしながらタレント活動をしている。
そんな波瀾万丈な彼女に、ヤマンバギャルとして注目されたきっかけや、ボロボロの肌だった20代、周囲から言われた衝撃の言葉などを聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)
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気づいたら渋谷でホームレス生活に
――ギャルとして注目され始めた頃、あぢゃさんはホームレスだったそうですね。どういったきっかけで?
あぢゃ ずっと横浜に住んでいたんですけど、高校が渋谷乗り換えだったんです。で、毎日渋谷で降りて、プリクラ撮って、パラパラ踊っていて。当然友達もたくさんできるので、渋谷から離れられなくなって、気づいたら住み着いていました。高校も退学になったので通信制に通って。
――ご両親に何か言われたりは?
あぢゃ 母は中学の時に乳がんで亡くなっていて、父は何も言ってこなかったです。悪いことだけはするなよ、とにかく楽しく生きていてくれればいいからって感じで。でも、内心はすごく心配していたと思います。
小学生の頃は日能研に通っていて、中学受験もしていたんです。両親も勉強にお金をかけてくれていたんですけど、中学生くらいの時からグレちゃって。父には反抗的な態度ばかりとっていて、家出のようなものだったと思います。
センター街でパラパラを200人くらいで踊って
――寝る場所はどうしていたんですか。
あぢゃ 宮パ(宮下パーク)です。友達何人かとホームレスしていたので、二つのグループに分かれて、睡眠班と見回り班で交代しながら生活してました。前からいたホームレスの方と仲良くなっていろいろとルールを教えてもらったりもして。
当時は今と違って平和だったので犯罪とかはないと思っていたけど、用心の為交代制で見張りしたり寝たりしてました。
――食事はどうしていたんですか。
あぢゃ ホームレスの方からいただくこともありました。数日前のおでんをいただいたり、飲みかけのジュースも。でももらったものは食べないとと思って、全部食べてました(笑)。
あとは、街頭インタビューしている人に「面白いこと言ったらハンバーガーおごってね」って言って片っ端から答えていました。「インタビューで大人数必要なんだけど」って言われたら、渋谷中からギャルを連れてきて。
あと、センター街でパラパラを200人くらいで踊っていたんですけど、外国人とかの観光客も多く見に来るんですよね。そうすると投げ銭みたいな感じで、お菓子やサンオイルをくれるんです(笑)。
今考えるとそんな数の人が観てる中でパラパラ踊るなんてよくできたなって思うんですけど、当時は水着で歩いていても何も言われなかった。ゆるい時代ですね。