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ワンルームマンションからホスト生活をスタート

 こうして働き始めたのが、AIR GROUPの前身店舗である「ビームス」というホストクラブだった。ここで体験入店のような形で働き始めた一条氏だったが、働き始めてすぐにホストへの印象がガラリと変わったという。

「イメージしていたギスギス感がなくて。当時は従業員が10人ほどしかいなかったので、みんな仲良しでしたね。なので、こんな楽しい感じなら僕も働けそうだと思って、本格的にホストを始めたんです。特に大金が欲しいとか、有名になりたいとかは思ってなくて、楽しそうというモチベーションが強かったですね」

 

 こうして一条氏は、誘ってくれた先輩ホストとロフト付きワンルームマンションで共同生活をしながら、ホスト人生をスタートさせる。働き始めた当初は、ガソリンスタンド時代とあまり変わらない給料だったという。ただ、1年目の終わりには、月に「100オビ(100万円)はもらっていた」と一条氏は語る。

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23歳で1000万プレイヤーに

「お店の先輩から、女性客が連れてきた初回のお客さんをご紹介いただいたりして、ちょっとずつ収入は増えていきました。当時のお店は、規模は小さいけどイケメンが多く、 “隠れた名店”と言われていたこともあるので、お客さんは絶えなかったですね。当時の僕は『お店でしか会えない男』という売り出し方をして、お客さんとは店外では会わないようにしていました。その代わり、毎日ほとんどのお客さんに、一人2分ずつ電話をかけていましたね。担当のお客さんは50人くらいいたので、毎日2時間近くかかっていました」

 お客さんの名前や電話番号などを手書きした表を作り、電話した人にはマルをつける。そんな一条氏の努力は実を結び、順調に客がつき始めた。一条氏のひとりの太客に頼るのではなく、組数で勝負するスタイルも奏功し、毎月の給料の“オビ”は徐々に増えていった。

「僕は23歳くらいで1000万プレイヤーになりました。今はゴロゴロいますが、当時の歌舞伎町で1000万プレイヤーは数人しかいなかったと思います」

 このほかにも一条氏は、2006年に全日本ホストグランプリで優勝するなど、歌舞伎町のみならず日本を代表するホストへとのし上がっていく。