ごめんなさいハガキ事業は、南国市で少年期を過ごしたマンガ家「やなせたかし」先生のご提案で、中央地域商店街としてユニークな歴史と町名を持ち発展してきた町「後免・ごめん」をキーワードに、本市のイメージアップを図ると共に「龍馬空港都市」の全国展開、ならびに市民活動として発足した「ごめん町特産物開発事業」への相乗的効果などを期待して実施する
空港に言及しているのは、南国市内に「高知龍馬空港」があるからだ。南国市は現代になっても交通の要衝としての位置づけが変わっていない。「目的」の意味が難解だったので、徳久さんに“翻訳”をお願いすると、「要するに『町の名前がユニークだから、地域おこしの一環として利用してみたらどうか』というのが、やなせ先生からの提案でした。今まで言えなかった『ごめんなさい』を『ごめん』という町に送ってもらったら面白いんじゃないかという話でした」と噛み砕いて教えてくれた。
住民にとっても、ちょうどいい機会だった
「企画書」に記された「内容」の項目を見ると、少し具体的にイメージできる。おそらく、やなせさんの発言内容を、市の担当者がそのまままとめたのだろう。
『人には必ずといって良いほど、「ごめんなさい」を言いそびれていることがあるのではないか』そんな「ごめん」を一枚のハガキにしたため「ごめん町」に送ってもらう…そんなコンクールを実施しては?とやなせ先生からご提案をいただいた。
選ばれた「ごめんなさい」には、やなせ先生から記念品を贈呈したいとの申し出があり、このことは、ファンにとってはたまらないプレゼントとなる
提案は、後免町の住民にとっても、ちょうどいい機会だった。皆で一緒に何かやりたいという気運が盛り上がっていたからだ。
前年の2002年、高知国体が開催された。だが、高知県内には全ての選手や監督が泊まれるだけの施設がなかった。このため民泊で対応することになり、南国市では「くろしお海援隊」と銘打ち、バスケットボールやバドミントン競技に出場する約800人を受け入れた。朝夕食を提供し、風呂に入ってもらう。住民の負担は大きかった。
「まちづくり委員会」を結成
「県外から来てもらっても、泊まるところが足らないのだから、もうどうしてもやらないといけないという危機感で取り組みました。ただ、せっかく皆で一緒に頑張ったので、これで終わりにするのはもったいないという声が出ていました。そんな時に、やなせ先生の提案が舞い込んだのです」
徳久さんは後免町の住民に地元の公民館へ集まってもらい、「皆でやりませんか」と呼び掛けた。