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第1回の大賞に選ばれたハガキ

 徳久さんは、第1回の大賞に選ばれたハガキが忘れられない。

 高知市で暮らす50代の女性が、32年前の出来事を記していた。

母が逝った一年後、私は東京の短大に進学した。その次の年の夏、帰省していたある日の午後、父が見知らぬ女性と帰宅した。彼女は多分、道々摘んで来たであろう雑草の花束をテーブルに置いた。私はためらうことなく、彼女には一瞥もくれずに、その花束をゴミ箱に捨てた。誰もが無言だった。その時もそれから後も。私の行動がおそらく父のその後の寂しい人生を決定づけたのだと思う。無言で耐えた皆にごめんなさい。

第1回大賞のハガキ

「お父さんがお付き合いしていた女性を連れて来たのに、無視してしまったというのですね。認めてあげればよかったのにという後悔があったのだと思います。たぶん再婚話はなくなってしまったのでしょう。でも、謝れなかった。そうした行動を取ってしまった当時の娘さんの気持ちは痛いほど分かる。お父さんの気持ちもよく分かる。『人ってそうだよね』と思います。自分だったらどうするか。認めてあげただろうか、それともやっぱり嫌だなという気持ちが強かっただろうか……。ハガキには、毎回自分を投影してしまいます」。徳久さんはしんみりと語る。

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 人にとって「ごめんなさい」という言葉が持つ意味は大きい。特に「言いそびれたごめんなさい」を胸の内にしまってきた場合には。

 吐き出して楽になる場も必要なのだろう。

 やなせさんは、そうしたことまで考えて提案したのだろうか。それとも「ごめんなさい」という言葉を使った時点で、このような「場」になることを運命づけられたのか。

「ごめんの町」で「ごめんなさい」。

 ダジャレから始まったコンクールが、人生を考えさせる催しになっていった。

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 第21回の応募は2024年11月30日まで(当日消印有効)。

 問い合わせは、現在の事務局が置かれている南国市観光協会