「ごめん」という町があるのをご存じだろうか。

 高知県高知市の東に隣接する南国(なんこく)市。その中心市街地となっている後免(ごめん)町である。

「ものべがわエリア観光博」のポスター。落書きしたくなるほど「ごめん」のインパクトは強い?(ごめん・なはり線「後免町駅」待合室)©葉上太郎

地域おこしを提案した、やなせたかしさん

 謝罪の意味で付けられた地名ではないのだが、「ごめんなさい」をキーワードにした地域おこしを提案した出身者がいた。『アンパンマン』を生んだ漫画家・故やなせたかしさん(1919~2013年)である。ダジャレが好きなやなせさんらしい発案だった。

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 やなせさんの案を受けて、地元の住民達が「ハガキでごめんなさい」全国コンクールを具体化させると、多くの人からハガキが寄せられた。心の奥底にしまってきた謝罪の言葉。吹き出すような失敗談。審査委員長を務めたやなせさんが第1回目に大賞に選んだのは、父親が再婚相手に考えた女性を連れてきた時、悲しくなるような行動を取ってしまった娘の悔恨だった。

「あれっ、ゴメンっていう町があるよ。面白いね~」

「ほんとだ! ちょっとカワイイ感じがする」

 南国市から高知市へ走る「とさでん交通」の路面電車。

「ごめん」行き。とさでん交通の路面電車(高知市) ©葉上太郎

 20代の旅行者らしい男性が4人、揺れる車内で路線図を見つめていた。

 始発は「後免町駅」。「ごめんまち」と読み仮名が書かれていて、「ごめんにしまち」「ごめんなかまち」「ごめんひがしまち」と読む電停である。

車内に掲示されているとさでん交通の路面電車の路線図。「ごめん」だらけだ ©葉上太郎

 この「面白いね~」という反応を、場を和ませるために使った人がいた。やなせさんだ。

やなせさんの「故郷」と言える町

 南国市で最も交流の深かった徳久衛(とくひさ・まもる)さん(64)が語る。

「東京で活躍していたやなせ先生が、『私は少年時代にゴメンという町に住んでいたんだ』とスタジオで言うと、周りの声優やスタッフが『またそんな冗談を』と笑い、それを見た先生がまた笑うというようなことがあったそうです」

 やなせさんは東京生まれだ。父は現在の高知県香美(かみ)市の出身で、新聞記者として海外赴任中に客死した。母も再婚したため、小学2年生のやなせさんは、後免の町で医院を開いていた伯父宅に引き取られた。

 ここで弟と暮らし、高知市の旧制中学へ進学。18歳で官立旧制東京高等工芸学校(現在の千葉大学工学部)へ進むまで、10年間過ごした。

「ゴメンという町」は、やなせさんの「故郷」と言っていい。