平野 すこし補足すれば、『本心』は2040年代の日本を舞台とした近未来小説です。今よりもAI(人工知能)やAR(添加現実)の技術がかなり進んでいて、現実と仮想空間の区別がつきにくくなっている、という設定です。
その中で主人公の朔也は、依頼者に成り代わってリアルな体験をし、その感覚を依頼者に伝える、「リアル・アバター」と呼ばれる仕事をしています。
俳優も、原作の中の登場人物の代理であったり、観客が自分の人生を仮託する代理を果たしていたりします。その意味で、池松さんに切実な関心をもってもらえたのかもしれませんね。
石井 そうだと思います。さらに言えば、CG(コンピュータ・グラフィックス)の進化なども含め、俳優の身体の重みみたいなものが見えにくくなっているのではないか、という危機感も重なっているのかもしれません。
平野 さきほど言った「代理」ということが、『本心』のキー・コンセプトになっています。朔也は自分の身体を誰かに貸し出すリアル・アバターをしていますが、一方で朔也の母の友人だった若い女性・三好彩花は、かつてセックス・ワークをしていました。客は自分の欲望の対象は別にあるのかもしれないけれど、それが満たされないので、代理としてセックス・ワーカーと金銭を介した関係を持ったりする。その意味では、朔也と同じように「身体を貸し出す」存在です。そうした二人の間に共感が芽生えるのではないか、というのが当初の発想でした。
また朔也は、亡くなった自分の母親を、AI技術を使ったVF(ヴァーチャル・フィギュア)として蘇らせます。このVFも、存命中の母親の「代理」です。
彼らだけではなく、じつは我々の誰もが、誰かの代理として生きているのではないでしょうか。それも書きたかったことの一つなんです。
石井 この作品が、コロナ禍の前に書かれたことにあらためて驚きますね。「濃厚接触」を避けるため、リアルな交わりが徹底して遠ざけられ、オンライン・ツールによってコミュニケーションが「代行」されました。そういう中で、「リアルな手触り」がどんどん希薄になっていった時期だったと思います。『本心』には、その状況がみごとに予見されています。
平野 ありがとうございます。
石井 ただ映画化の過程は紆余曲折の連続でした。なにより苦労したのは、原作がとても多層的な話なので、丁寧に拾っていくと、どんどん脚本が長くなってしまうことでした。