CGには「余白」がない
石井 そのため、敢えてクラシックな表現を多用しました。
たとえば序盤で死を目前にした老人の依頼で、朔也が幾つかの場所をめぐる場面があります。原作には教会が出てくるのですが、映画では禅寺に変えました。仮想空間の中で、大切な記憶と出会う体験を、禅のようなものとして表現したら面白くなるのではないか、と思ったからです。
平野 素朴な質問ですが、最近の映画でCGが多用されるようになったのは、CGの費用が劇的に安くなったからなんでしょうか。極端な話、どこか遠くにロケに行くより、背景は全部CGにしてしまった方が安くなるというような……。
石井 そういうケースもあるでしょうね。本当はCGを使わず、人力のアナログ表現でやった方が画面に力が出るのに、安易にCGに頼ってしまう傾向が出てきてしまっているかもしれません。そこは落とし穴ですね。
平野 そもそも映画ってたいてい物語の順番通りに撮っていないじゃないですか。撮影を効率的にするため、「中抜き」にしている。そうすると役者は、登場人物の気持ちのつながりがだんだん掴めなくなっちゃうんじゃないかと。それに加えて、背景までCGだと、実際の撮影現場では合成用のブルーバックだけを背中に演じることになる。
背景が何もわからず、脈絡もシャッフルされて、「ここは悲しい表情で演じてください」と言われると、画一的な「悲しい顔」になってしまうのではないかと思うのですが。
石井 その通りだと思いますね。CGには余白のようなものはないし、リアルで人間的な芝居には結びつきにくい。CGで作った背景には、偶然鳥が飛んで入ってくるといったことは起こりません。でもリアルな空間の中では、カメラも役者も偶然性に反応して、当初思ってもみなかった絵が撮れることがあります。
今起きている映像技術の進歩は、両刃の剣を超えて、作り手にとっては大きな脅威になりつつあるようにも見えます。
平野 映像業界の中で、なるべくCGを控えようというような揺り戻しはあるのですか?
石井 それは無いでしょうね。どうしてもCGを使った方が、予算を抑えられますから。またかつては考えられなかった、「人間と熊が戦う」といったシーンにもチャレンジできるようになったプラスの側面もあります。ただ、やっぱり安易なアプローチをとってしまうリスクも増えていると思います。
だからこそ、というか今回の『本心』の撮影では、俳優の身体性というか、生身の芝居性に特にこだわりました。
(後編へ続く)
ひらの・けいいちろう●1975年生まれ。99年、京都大学法学部在学中に文芸誌「新潮」に投稿した「日蝕」により第120回芥川賞を受賞。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。主な小説作品に『葬送』『決壊』『ドーン』『空白を満たしなさい』、『マチネの終わりに』(映画化)、『ある男』(映画化)など。最新作は短篇集『富士山』。
いしい・ゆうや●1983年生まれ。2007年、大阪芸術大学時代の卒業制作『剝き出しにっぽん』がPFFアワードにてグランプリを受賞。10年『川の底からこんにちは』で商業映画デビュー。14年『舟を編む』で第37回日本アカデミー賞最優秀作品賞・最優秀監督賞を受賞。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』『茜色に焼かれる』『月』『愛にイナズマ』など、精力的に作品を発表し続けている。
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映画『本心』 公開中
原作:平野啓一郎
出演:池松壮亮
三吉彩花 水上恒司 仲野太賀
田中泯 綾野剛 / 妻夫木聡
田中裕子
監督・脚本:石井裕也
配給:ハピネットファントム・スタジオ
©2024 映画『本心』製作委員会
映画『本心』公式サイト https://happinet-phantom.com/honshin/