「郷土を朝鮮人から守った俺たちは憂国の志士であり、国が自警団を作れと命令し、その結果誤って殺したのだ」――1923年、無実の日本人9人が殺害された福田村事件。虐殺に加担した8人の犯人はその後、どうなったのか? 事件の顛末を、新刊『戦前の日本で起きた35の怖い事件』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

1923年9月に起きた関東大震災。写真は横浜正金銀行の周辺 ©getty

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9人の罪なき人々を虐殺した犯人たちのその後

 この事件で逮捕されたのは福田村の自警団員4人と、隣接する田中村(現在の柏市)の自警団員4人の計8人。起訴された彼らは騒擾殺人罪に問われたが、裁判で被告人は「郷土を朝鮮人から守った俺たちは憂国の志士であり、国が自警団を作れと命令し、その結果誤って殺したのだ」と主張する。

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罪なき9人の人々が、同じ日本人によって虐殺された。写真はイメージ ©getty

 また、当時の予審判事は裁判の前から「量刑を考慮する」ことを新聞に明かしており、田中村の会議でも被告4人に「見舞金」の名目で弁護費用を出すことを決め、村の各戸から均等に徴収していた。

 果たして、裁判長は1924年(大正13年)7月、7人に懲役3年から10年の実刑判決を下した(大審院で確定。残り1人は懲役2年・執行猶予3年)が、2年5ヶ月後の昭和天皇即位(1926年12月25日)による恩赦で全員が釈放された。ちなみに犯行の中心人物だった1人は、出所後に田中村の村長となり、柏市に合併後は市議も務めたという。

 事件は長らく闇に葬られた。その背景には行商団の一行が被差別部落出身だったためとも言われる。しかし、56年後の1979年(昭和54年)に被害者遺族らから「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」などに連絡があり、事件の現地調査がスタート。

 1983年(昭和58年)には千葉県歴史教育者協議会から香川県歴史教育者協議会に情報が伝えられ、共同調査や香川県での聞き取り調査が進んでいき、1980年代後半からようやくメディアでも取り上げられるようになる。