彼女と同じ髪型にするのが流行った
ショートカットは彼女にボーイッシュで中性的なイメージをもたらすことになる。当時のファンに若い男性ばかりでなく10代の女性が多いのはそのためだとも分析された。実際、女子高校生のあいだでは彼女と同じ髪型にするのが流行った。
CMにも多数出演したほか、1994年10月にはシングル「TENCAを取ろう!~内田の野望~」で歌手デビューした。売り上げは2週間で50万枚を突破し、女性ソロ歌手のデビュー曲では初めてオリコンのヒットチャートで初登場1位という快挙を達成した。翌月のリリース記念イベントには、会場のよみうりランドの収容人員8000人を超える3万人が詰めかける過熱ぶりであった。
イメージと素の自分との間にギャップを感じていた
だが、その裏で内田は、世間で持たれているイメージと素の自分とのあいだにギャップを感じていたらしい。いつも元気で明るいというイメージもついていただけに、落ち込んでいるときも無理して自分を奮い立たせてきたものの、明るく振る舞おうとすればするほどギャップは広がるばかりだった。
1997年には一旦活動を休止した。《自信がなかったから、人気があったり仕事があったりすることが怖かった。やめたいと思ってたし。それで一回ちょっと離れたいって》と、内田はのちにその理由を明かしている(『AERA』2010年12月13日号)。
翌年夏ぐらいまで休業したのち映画『BEAT』(1998年)で復帰した。それでもなお、ファンから「内田有紀がいい」と言われても他人事みたいで、芝居や歌がうまいわけでもないのに一体自分の何がいいのかわからなかったという。そのもどかしさを克服するには中身をつけなければと思い、24歳だった2000年、劇作家・演出家のつかこうへいが主宰する「北区つかこうへい劇団」に飛び込んだ。