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長嶋茂雄氏のコーチングは…

――では、同じ言語化でも、野球の長嶋茂雄氏の有名な「シャーッときてググッとなったら、シュッと振ってバーン」的なコーチングはどのように位置付けられるのでしょうか。少なくとも、町田さんのおっしゃるそれとは、真逆の方向性ですよね。

町田 面白いのは、長嶋さんのコーチングにおけるオノマトペ的表現というのも、決して悪いものではないのです。オノマトペも、確かに身体感覚の一つではあって、それによって「伝わる」ものも間違いなくある。ただ、かなりの天才タイプでない限り、それ“だけ”ではスポーツのコツは掴み切れないと思います。

 オノマトペ的な指導や言語化の方法というのは、その人固有の身体認識であって、仮にAさんに通じることがあったとしても、同じことがBさんにも通ずるかどうかは分からない。つまり、汎用性が低い。人間の身体は、一様ではありません。基本的構造は一緒でも、腕の長さも、関節の可動域もそれぞれ異なります。ですから、選手のコンディションが悪かったり、スランプに陥っている時などは、そうした知覚的な認識だけだと、どこをどう修正すれば良い状態に持っていけるのかが分からなくなってしまう。

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©文藝春秋 撮影/石川啓次

言語が表現のベースになっている

 オノマトペ的なものを本当の意味で理解し、自分の身体にインストールするには、自分の身体を言語で理解し、そこから繰り出されるパフォーマンスを論理的に理解することが重要になってくるのです。こうした身体もしくは身体運動の言語化については、拙著『若きアスリートへの手紙――〈競技する身体〉の哲学』(山と溪谷社、2022年)においてさらに詳しく論じておりますので、ご興味があればぜひご一読ください。

 という具合に、私は競技者としても、研究者としても、言語表現が至上……と言うとやや語弊がありますが、少なくとも、言語がすべての表現のベースになっている、という意識があります。ですが時折、そうした持論を揺るがされる事例に出くわすことがあります。例えば……。(#2につづく)