目標になった「YOUNG MAN」
3度目の脳梗塞(2011年末)の際は、具合が悪くなり慶應病院へ行ってMRIを撮り、念のため入院したが、次の朝には、病室のベッドから起き上がれなくなっていた。
「ショックは何十倍でしたよ。再発を予防しようと生活に気をつけていただけに、なぜ?」(前出の「文藝春秋」)
12月30日に慶應病院を退院。リハビリのために杉並区の河北リハビリテーション病院に1か月たらずを過ごした。
壮絶なリハビリを課し、このときも彼は驚異の復帰を果たした。そして2012年の1月28日、退院してすぐにチャリティーコンサートに出演。2月28日には熊本競輪場で開催された「第65回日本選手権競輪」開会式で、国歌独唱を行っている。
そしてこの年の夏、9月にはなんと、熱烈な招待を受け、ブラジルのサンパウロに赴きドリームコンサートに出演。ヒット曲10曲を熱唱し、会場とともに歌い、日系人のファン4000人を熱狂させている。そのセットリストのなかには、しばらく、上半身が不安定で歌えなかった「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」もしっかり入っていた。
「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」」といえば、西城秀樹自身の代名詞になるほどのヒット曲。「ザ・ベストテン」(TBS系)では、史上初の満点、9999点(1979年4月5日放送回)を獲得しており、いかに万人に愛されていた楽曲かということがわかる。
原曲は、アメリカ出身の人気グループ、ヴィレッジ・ピープルの「Y.M.C.A.」。カバーのきっかけは、西城秀樹自身がロサンゼルスに滞在した際に気に入り、コンサートのアンコールで歌うことを決めたことだった。原曲で歌うはずが、急遽、日本語の詞を付けることになり、当時のマネージャー天下井隆二が1時間で書いた(クレジット表記は平仮名の“あまがいりゅうじ”)という驚きのエピソードがある。
「みんなで歌って踊れる歌にしよう」というコンセプトのもと、体で文字をかたどり、客席との掛け合いを入れた。これはヴィレッジ・ピープルの原曲にはない、西城秀樹のオリジナル。
最初振り付け師の一の宮はじめがつけた「Y・M・C・A」の「A」は、本来、両手を頭の上で合わせたあと、腕を左右に開く、という振り付けだった。それを西城秀樹はあえて、腕を曲げて揺らすように変えていったという。
天下井隆二は当時をこう回想している。
「(秀樹に)理由を聞いたら『みんなが客席でやったら、隣の人に腕がぶつかるでしょ』と言う。私も長年、彼と一緒に過ごしましたが、ファンのことをそこまで考えているのかと驚きました」(「週刊現代」2019年9月14日・21日合併号)
彼の想い通り、ファンと一体化できる、最高のパワーソングに成長していった「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」。わかりやすい、覚えやすい、明るい、楽しい、全身を使う振り付けがある。西城秀樹によって誰にも愛される歌に進化したこの歌は、今も高齢者施設のレクリエーションや、リハビリでおおいに活用されている。
そして、彼自身の最大の目標にもなっていた。
きついリハビリを耐える理由を聞かれた時、「ファンのためにがんばりたい。YMCAをちゃんと歌いたい!」という言葉が決まり文句だったという。
“ちゃんと”というところに、彼のこだわりとプライドが詰まっている。