闘病を公開した理由
ただ、「YOUNG MAN」の印象が強かった西城秀樹の闘病の公開は、これまで見ていた「かっこよさ」とのギャップから、当然のことながら、見るのがつらいというファンもいた。それでも、西城秀樹が自分の姿を出そうとした理由は、「脳梗塞やほかの病気と戦う人を勇気づけられたら」だったという。
初期こそ、彼自身「こんな姿は誰にも見せたくない。西城秀樹はカッコよくあることが務めだ」と、信条が崩せずにいたという。それが徐々に気持ちが変わっていく。
特に、他の患者とともに過ごすことを余儀なくされるリハビリ室での時間は、前向きになるきっかけになった。ともにリハビリに励む人たちの頑張りや、実際に症状を好転させていく様子が、自分にとってもいい目標になったという。
そして、ありのままを見せていく。弱みも見せる。そんな風に変化していった西城秀樹。
「最初に脳梗塞で倒れるまでが一度目。また倒れるまでが二度目。そしていまは、三度目の人生だと思っています。価値観を変え、大切なものに気づかせてくれたという意味で、ぼくは病気に感謝してるんです。病気にならずに気がつけば、もっとよかったんですけどね(笑)」(前出の「文藝春秋」)
歌への気持ちもまた、深いものになっていった。
「歌がへただろうが、脚がよろけようが、僕にはもう一度歌いたい歌がある。伝えたい言葉がある」(『ありのままに 「三度目の人生」を生きる』2012年、廣済堂出版)
コール&レスポンス
西城秀樹が病との闘いを共有しようとした背景には、自らが広めていった「ファンとの掛け合い」「コール&レスポンス」の精神が沁みついているのもあったのだろう。彼はいつもファンのことが頭にあった。ファンに対して、ひとりひとりに愛を囁いているように歌い、雑誌の取材ではファンを「姉であり妹であり恋人」と語った。
ファンにその思いが伝わらないわけはなかった。コンサートは脳梗塞のあとも行われたが、当然、調子の悪い日もある。しかし、常に声援で包まれた。かつて現場で、西城秀樹と接していた元運営スタッフは、こう振り返っている。
「音楽業界ではよく知られていることなんですけど、秀樹さんのファンは熱いんです。秀樹さんへの思いがとても強い。だから、必死にステージを務めようとしている秀樹さんのアクションがぎこちなかろうが、誰も失望なんてしなかった」(「デイリー新潮」2019年5月15日)。