菅は、すでに午前2時ごろまでには、補佐官や秘書官に、福島第一原発にヘリコプターで視察に行く準備をするよう指示を出していた。総理大臣が東京を離れて現場に行くことに、官房長官の枝野は政治的に叩かれるリスクがあると意見していた。しかし、菅の自ら現場に行く考えに変わりはなかった。津波の被害を上空から確認したかったことに加え、手配した電源車の規格が合わなかったことが象徴するように、現場とのコミュニケーションがうまくいかないことに業を煮やし、とにかく現場の責任者と会って話をしたいと考えていたのである。
ベントについてきちんと聞かなければならない。菅の思いは強まっていった。
一連のやりとりを聞いていた枝野も加わって、菅や福山は、格納容器の状況について、原子力安全委員長の班目春樹(62歳)の意見を聞き、午前5時44分に福島第一原発から半径10キロ圏内の住民に避難指示を出した。
すでにあたりは、すっかり明るくなっていた。東京の上空は、青空が広がっていた。
「なんでベントできないんだ?」
午前6時14分、菅は陸上自衛隊のヘリコプター・スーパーピューマに乗り込み、福島第一原発へと飛び立った。
機内で菅は、同乗した班目に原発に関わる具体的で細かな質問を問い続けた。福島第一原発の各号機の出力に始まり、それぞれの号機の冷却装置は何と呼ばれどのような特徴があるのか。一つ答えると、すぐに次が来るといった調子で、質問は尽きなかった。燃料が冷却されず、高温になるとどうなるのかという問いに、班目は水素が出ると説明した。水素という単語に、菅は反応し、爆発しないのかと尋ねた。班目は、格納容器は窒素を充満させているので爆発しないと答えた。菅が班目に質疑をくりかえしている間に、ヘリコプターの窓の下には福島県の太平洋沿岸が見えてきた。
午前7時11分。スーパーピューマが、原発構内のグラウンドに着陸した。グラウンドには、経済産業副大臣の池田元久(70歳)と福島県副知事の内堀雅雄(46歳)、それに、東京電力から副社長の武藤栄(60歳)が出迎えに来ていた。3人は11日遅くから12日未明にかけて、福島第一原発から南西5キロにある原発事故時に関係機関が集まるオフサイトセンターに詰めていた。オフサイトセンターは、住民の避難場所や避難方法を話し合う拠点だったが、地震直後から停電し、通信機能もほぼ失われていた。12日午前1時になってようやく電源が復旧したが、混乱が続き、3人は疲弊していた。しかしヘリコプターを降りた菅は、出迎えへの挨拶もほとんどなく、すぐに武藤に近寄り、強い口調で言った。「なんでベントできないんだ?」
武藤は面食らった。儀礼的な挨拶を予期していたため、まったく構えができていなかった。菅は続けざまに「いつになったらできるんだ」「今何やっているんだ」と質問を重ねてきた。武藤は、オフサイトセンターから到着したばかりで、現場の邪魔にならないようにと、免震棟の中にも入っていなかった。現場の詳細はまったくと言っていいほど知らなかった。曖昧な答えに終始する武藤に、菅は明らかに苛立った表情を見せた。一行は、バスで免震棟に移動した。乗り込んだバスの中で菅の隣に座った武藤は、わずかな車中の間も同じ調子の質問を浴びせられ答えあぐねていた。
一行は免震棟2階の会議室に通された。菅や池田ら政府関係者の対面に、机を挟む形で武藤らが座った。「なぜベントを早くしないのか」例によって菅が詰問調の厳しい口調で切り出した。
「電源が無くて苦労しているんです」武藤がベントができない理由をなんとか説明しようとしたが、即座に「なぜ無いんだ」と細かく問い詰められ、答えに窮してしまった。ヘリコプターで降り立ったときと、同じ調子のやりとりが再現しそうな予感が走った。