行き過ぎた学力調査がもたらした負の影響
2017年、私は秋田県に講演に招かれた。秋田といえば、全国学力調査が復活した2007年以降、何年もの間「学力ナンバーワン」と言われ続けてきたところだ。その秋田の教員たちから、行き過ぎの学力テスト対策に疑問の声が上がっており、『崩壊するアメリカの公教育』について話を聞かせて欲しいということだった。
聞けば、秋田県では2007年当初から、全国学力テストが終了次第、文科省に送り返す前に各学校で全答案をコピー・自主採点し、結果が公表される前から翌年に向けて対策をしてきたのだという。
秋田県教職員組合が実施したアンケートからは、テストに翻弄され、負担感に苛まれる教員の声が聞こえてくる。
「常にトップを要求され続ける怖さがある」
「1位を死守するために年々厳しい取り組みを求められる」
「事前の取り組みが負担。是が非でも成績を上げないといけないという雰囲気を感じる」
秋田の次に「学力ナンバーワン」の座についた福井県では、2017年3月に起きた県内の中2男子自殺事件を受けて、「『学力日本一』を維持することが本県全域において教育現場に無言のプレッシャーを与え、教員、生徒双方のストレスの要因となっている」として、「福井県の教育行政の根本的見直しを求める意見書」を採択するという異例の事態となった。
福井の次に「学力ナンバーワン」のタイトルを得た石川県でも、行き過ぎた事前対策の状況は変わらなかった。石川県教職員組合の谷内直執行委員長は、県教委から教育現場への是正の勧告があったにもかかわらず、全体の4割を超える学校が従来通り、過去問を解くなどの対策を講じていたことに驚いている。
「普通、県の教育委員会が(対策を)しないように言ったらゼロになるはずですよ。それがならないというところに根の深さというか問題の大きさを痛感している」
また、県教職員組合による実態調査で記録された、「1年間、学力調査のために仕事をしている印象」という教員の声は、全国学力テストに振り回される教育現場の姿を露呈している。
先にも述べたが、もし全国学力調査がその名の通り「調査」なら、毎年数十億円もの税金をかけて悉皆式で行う必要はない。抽出式で十分に精度の高い調査はできる。それどころか、幅広い成績開示を前提に悉皆式で行えば、逆に正確なデータは取れないとさえ言われている。
日々の授業による生徒たちの学力の定着度を測るための調査なのに、授業を潰して入念なテスト対策を行えば、テストのための授業となり本末転倒であるし、生徒たちの日頃の学力などはかれなくなる。
そして何よりも、テストやテスト対策に明け暮れるなら、「学校」と「塾」との違いがわからなくなってしまう。
全国学力調査が全員参加方式で再開されたのが2013年。その年を境に、子どものいじめ、不登校、校内暴力、そして自殺は増加傾向にあるのだが、単なる偶然なのだろうか。
それを懸念するように、国連子どもの権利委員会は、2019年に発表した日本政府に対する意見書で、「生命、生存および発達に対する権利」に関して、次のように日本政府に勧告している。
子どもが、社会の競争的性質によって子ども時代および発達を害されることなく子ども時代を享受できることを確保するための措置をとること。
不登校や子どもの自殺に歯止めがかからない中、政府に求められているのは、早急に子どものストレス要因を取り除く努力なのではないだろうか。