なぜか増えた「ナス嫌い」と「プリンを食べてしまった」のごめんなさい
理由は不明だが、年によって増える内容がある。顕著なのが「ナス嫌いでごめんなさい」と「こっそりプリンを食べてしまってごめんなさい」だ。
ナスは「高校生までの年代です。県も学校もバラバラなのに、なぜか多い年があります。子供が嫌いな野菜といえばピーマンやニンジンが定番だったのに、これらはあまりありません」と安岡事務局長は首をひねる。
やなせさんの母校、南国市立後免野田小学校の川村一弘校長に尋ねると、ヒントをくれた。
「品種改良の影響もあるのです。ニンジンは独特の香りが減って、食べやすくなりました。昔は苦かったピーマンも甘くなりました。逆にナスは柔らかい食感を嫌う子が増えています」
多く寄せられる年とそうでない年がある「波」については、川村校長にも分からなかった。
プリンも「アイスクリームやヨーグルト、ゼリーは少なく、なぜかプリンなのです」と安岡事務局長は不思議がる。
安岡事務局長には逆の体験がある。若い頃にプリンではなく、コーヒーゼリーを食べられて、なんと家出をしたことがあるのだ。
「大人になってからの話で恥ずかしいのですが、私の実家は高知県でも山間部にあります。コンビニエンスストアやスーパーといったコーヒーゼリーを売っている店にはかなり遠いのです。就職して間もない頃、風呂上がりに食べようと帰りがけに1個買い、冷蔵庫に入れておきました。ところが、父が食べてしまいました。私は憤慨して家出をし、その後は父とあまり口をきかなくなりました。でも、父はコーヒーゼリーを食べたことさえ記憶していないだろうし、私が家出をしたことも知らなかいと思います。私に『ごめんなさい』のハガキを書いてほしいぐらいなのですが、ハガキ一枚で許してもらおうなんて浅はかだとも思う気持ちもあって……」
たとえ父親であっても、食べ物の恨みは恐ろしい。
キリスト教の告解のように、罪を懺悔しているのか?
コンクールの「ごめんなさい」はハガキに書くだけなので、相手には伝わらない。なのになぜ、3万3820通も寄せられたのか。
「海外ではキリスト教の告解のように、罪を懺悔する場があります。日本にはそうした場がないので、『ハガキでごめんなさい』が代わりになっている面はないでしょうか」と担当職員の竹中さんは考えている。
安岡事務局長も「面と向かっては言えないけど、スッキリしたいとか、楽になりたいという気持ちは、誰にでもありますよね」と言う。
徳久さんは「『あの時、言えばよかった』というような『ごめんなさい』は、心の奥底にいつまでも残り続けます。言うべき相手がこの世にいないこともあるでしょう。胸にしまい続けるのではなく、一枚のハガキに書くことで、心のつかえが取れることもあります。
『ごめんなさい』という言葉は本来謝罪に使われます。そこには『自己解放』という側面もあります。言う人も、言われた人も、赦され、救われる部分があるのではないでしょうか」と話す。
一枚のハガキが持つ意味は大きい。
撮影=葉上太郎
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