昨年度で第20回を迎えた高知県南国市の「ハガキでごめんなさい」全国コンクール。出身者で漫画家の故やなせたかしさん(1919~2013年)が発案し、後免(ごめん)町の人々が実施している。これまでに計3万3820通のハガキが寄せられ、大賞(南国市市長賞)や優秀賞(副市長賞、教育長賞)をはじめとして、協賛企業からの賞なども含めると、近年は約20点の入賞作が選ばれている。
手間をかけて審査され、選ばれた入賞作は泣ける話や切ない話が
これらを見ていくと、ある傾向に気づく。泣ける話やしんみりした話がある一方で、笑える話が数多く選ばれているのだ。なぜ、対極にある内容が寄せられ、選ばれるのか。これには「ごめんなさい」という言葉が持つ不思議な力が影響している。
ハガキは手間をかけて審査されている。
大まかに言って二段階に分けられ、まずは後免町の住民らで作る「ハガキでごめんなさい実行委員会」(西村太利委員長)から、西村委員長と、副委員長の徳久衛(とくひさ・まもる)さん(64)。事務局を務める南国市観光協会から安岡知子・事務局長(41)と、担当の竹中瑞紀さん(31)。この4人が集まって、全てのハガキを精読してふるいにかける。
さらに実行委員会のメンバーや市長、副市長、教育長、協賛企業の代表らが計約30人で絞り込む。
こうした過程を経て、ようやく選ばれた入賞作には、泣ける話や切ない話が多い。
<中二の時、高一と偽り一日だけバイトをした。それが母にばれ、理由を言え、と問い詰められた。私は思わず、「母さんが掃除婦だからよ!」言い方も悪かった。親を見下すなと思い切り叩かれたが、そんなつもりではなかった。早朝働く母にマフラーを贈りたかっただけだった。店で頃合いのマフラーを見つけただけだった。マフラーが買える日給のバイトを見つけただけだった。謝るきっかけをなくしたまま気づけば十五年。本当は分かってる。私が悪い。あの時はごめんね、お母さん。>(第8回優秀賞)
母と娘、どうしても意地を張ってしまうことがある。大阪府門真市の39歳が寄せた。
<強気な父が「今まで
ごめんなさい」と言った。
私は、「こちらこそ
ごめんなさい」と言った。
二人共涙をこぼし言い合った。
その次の日父は病気で他界した。
お父さんもっと早く
「ごめんなさい」と、
言い合いたかったよ…!!>(第8回優秀賞)
父と娘もまた素直になれないものなのか。ハガキの裏面いっぱいに父親らしい人が描かれていた。病院着なのだろうか、にこやかに笑ってはいるが、頬が少しやつれている。山口県岩国市の27歳から届いた。