本書の著者で、2021年に86歳で亡くなった濱田滋郎さんは、日本におけるスペイン語圏文化の元締めのような存在だった。日本フラメンコ協会会長、清里スペイン音楽祭総監督を務め、東京藝大や東京外語大などでも教鞭をとっている。
まさに学者! と思いきや、学歴は中卒なのである。中学3年から坐骨神経痛を患い、日比谷高校に入ったところで休学。ラジオで流れるアルゼンチン・タンゴやラテン音楽など、スペインをルーツとする音楽に心惹かれていたこともあり、兄から譲られた『スペイン語四週間』で語学勉強に励み、7週間かけて基礎を学ぶと、いきなり大長編『ドン・キホーテ』を原語で読破。独学の面白さに目覚め、高校を中退。
少しも反対しなかったご家族もすごいと思うが、お父さまは『泣いた赤おに』などのひろすけ童話で知られる浜田廣介さん。その文体は「七五調」で、文章を歌いながら書き、子供たちはそれを子守唄のように聴いて眠りについた、という素敵なエピソードもある。
20歳の時、来日した歌手、ラファエル・ロメーロとの出会いによってカンテ・フラメンコ(アンダルシア地方の民謡)の虜に。24歳でフラメンコ・ギターの名手、カルロス・モントーヤの来日公演に接したころ、翻訳の道に入る。なんとフランス図書専門の出版社に、フランス語で書かれたスペイン音楽史の本を翻訳させてほしいと売り込みにも行く。濱田さんは、スペイン語ばかりかフランス語も独学だったが、“◯◯大学仏文科卒”ではない26歳の若者に翻訳を託した編集者の眼力もすごい。
濱田さんにとっては、自分に響くものがすべて。アルゼンチンが産んだフォルクローレの音楽家ユパンキが書いた先住民の物語に惚れ込み、出版のあてもないのに翻訳。本人の初来日の折りに、翻訳が難しかった方言や特殊な言いまわしについて質問したというエピソードには胸打たれる。
43歳の時、東京藝大の講師就任を要請された話も面白い。経験も教員免許もないのに、と躊躇すると、ラテンアメリカ音楽について、雑誌やレコード解説に書いてきたことを話してくれれば良いと言われたという。多くのアーティストたちとの交流から書物では得られない、生きた知識を学んだ濱田さんは、その頃には音楽評論家としての地位をしっかりと確立していたのだ。
1985年からは、それまで距離があった「スペインのクラシック」と「フラメンコ」の融合をめざして清里スペイン音楽祭を立ち上げ、「少しも『儲かる催し』ではありませんでした」と言いつつも、20年にわたって開催し続けた。
上からやらされる、のではなく、やりたいことを夢中になってやることが幸せな連鎖反応を生む。
恐るべし独学人生。なのに、ではなく、だからこそ! と叫びたくなる。
はまだじろう/1935年生まれ、2021年没。音楽評論家、スペイン文化研究家。日本フラメンコ協会会長をはじめ、各音楽団体の会長・理事などを歴任。84年、第3回蘆原英了賞受賞。著書に『フラメンコの歴史』『約束の地、アンダルシア』など。
あおやぎいづみこ/ピアニスト、文筆家、ドビュッシー研究家。新アルバムは『19歳のシューベルト』、近著は『パリの音楽サロン』。