なぜ大衆はスクーリンの中のアウトローに喝采するのか? “アウトロー映画”の魅力を、映画史家の伊藤彰彦氏が語る。

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民衆の憤怒が炸裂するアウトローの映画

「バーン! っていうのがええなァ」。釜ヶ崎の寄せ場で深作欣二の映画を観たあと、古くからの労働者が目を輝かせてこう呟いた、と社会地理学者の原口剛から聞いた。「バーン!」というのはたぶん、発砲音、爆破音、殴り倒す音のことだろう。ともあれ、アウトローが権力に対して拳銃をぶっ放し、短刀(ドス)で斬り付け、拳骨を見舞う映画に、押しつけられた体制に順応できない大衆は喝采し、自分たちができない乱暴狼藉の夢をスクリーンの中のアウトローたちに託した。

 貧困や民族差別や性格破綻により社会のシステムから弾き出された「無法者たち」を、社会から捨てられたと感じる活動屋が描く映画が「アウトロー映画」だ。冒頭の「バーン!」という擬音にアウトロー映画の魅力が凝縮されている。発砲音、爆破音とともに民衆の憤怒が炸裂するアウトローの映画を挙げてみた。

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『ゴッドファーザー』3部作
『仁義なき戦い』5部作

 世界で最大のアウトロー集団といえば、アメリカの「マフィオーゾ」、日本の「やくざ」、香港の「三合会」である。彼らを主役にする「ギャング映画」や「やくざ映画」は映画の黎明期から作られてきたが、「反社会的集団」を描きながらアメリカの「国民映画」になったのが『ゴッドファーザー』3部作(1972〜90年、フランシス・フォード・コッポラ監督)である。アル・パチーノが父親、マーロン・ブランドが作ったマフィア組織を継承・拡大するにつれて家族を失い、老いたあと懺悔しバチカンに帰依するサーガ(大河ドラマ)だ。

『ゴッドファーザー』(1972)

 イタリア移民の苦闘の歴史を描く『ゴッドファーザー』は、アメリカのマイノリティたちの共感を集め、76年の建国200年(バイセンテニアル)に向けて「多民族統合」に向かおうとするアメリカの「国民映画」になった。第3作は最も評価が低いが、ラストシークエンスの、オペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』の上演とマフィアの血の殺戮のクロス・カッティングには陶然とさせられる。