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誰がやってもデジタル化で同じに

鈴木 これは映画の世界の話なのですが、韓国では国の産業政策としてアニメを製作しましたが、成功したとはいいがたい。その原因は無国籍のアニメを作ったからですよ。韓国でなければ出来ないアニメを作らなければいけなかった。アメリカを見てください。アメリカ人にしか分からない作品ばかり作っているではないですか。

大泉 たしかに。私は全国各地の講演で民泊をテーマに話すときは、「みなさん、リッツ・カールトンになりたいのですか? それならお客さんは本物のリッツ・カールトンに行きますよ」と言っています。その地域でしか味わえない体験、独自性がないと、外の人を引きつけることはできないのです。

鈴木 みんな、どこも同じ、誰がやっても同じというデジタル化にうんざりしているのではないですか。最近も埼玉県の所沢へ行ったとき、そういう体験をしましたよ。市役所の1Fにあるカフェに入ったら、店員さんは、ほとんどが60代以上とおぼしき女性で、あまりお客の存在を意識していない(笑)。「コーヒー3つね」と大声で言っても、話に夢中でやたらうるさくて、私たちが頼んだものが来ないから訊いたら、「あ、忘れてた」と。

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©石川啓次/文藝春秋

大泉 マニュアルが決まっていて、手元の端末で注文を入力するようなチェーン店では、あまりないでしょうね(笑)。

鈴木 そう。けっこう大変な店でしたが、一緒に行った若いスタッフが、「この店、流れている時間が違いますね。なぜですかね。カッコよくないからかな」という。
 そうした空気を大事にしたほうがいい、と所沢市長に申し上げておきました。

大泉 その違いがいい、と。

身の回り半径3メートルから考える宮崎駿

鈴木 そう。違いを大事にする。そこから何かが生まれてくる。宮崎駿の映画の作り方を間近で見ていると、そう思えるのです。あの人は抽象的な概念から映画のアイディアを考えることはしません。いつも身の回り半径3メートルにある具体的で即物的な観察から発想をふくらませ、それを自分の中で再構成する。

 これはフランスの文化人類学者レヴィ=ストロースがいう「ブリコラージュ」ですよ。ありあわせの道具や材料を用いて自分の手でものを作る、という意味の言葉です。レヴィ=ストロースが先住民の思考法として述べている「具体の論理」。抽象的な概念ではなく、具体物を用いてものを考える。これと宮崎の手法は基本的には同じなんです。ここに彼のすごさがある。

大泉 非常に興味深いお話です。人間の思考は大きく2つの方向性があるという説があります。

 ひとつは「エヴォリューション(evolution)」。これは外側に向かって、渦がどんどん大きくなるイメージで、直訳すると「進化」。もうひとつは「インヴォリューション(involution)」で、これは内側に向かって渦を巻いているイメージです。

 このエヴォリューションはアメリカ型、ヨーロッパ型の文化で、エネルギーが枯渇するようなことがあれば、新しい油田を探索したり、シェールガスのような新技術を開発したりすることで克服しようとする考え方です。

 一方でインヴォリューション型の文化は、外で新しいものを探すのではなく、すでに身の回りにある物を工夫することで解決しようとする。エネルギーが枯渇しそうなら、省エネ技術を開発する。いわば「造り込み型」です。

 日本や東南アジアはインヴォリューション型の文化だと思うのです。そうした志向は自然環境や文化から生まれるのか、DNAに由来するのか、私には断定できませんが、西洋とは異なる意識が働いているとは言える。