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――具体的にはどのように「素」を出していったのでしょうか。

アレン Twitter(現X)で、動画を載せたんです。自分からしたら何気ない「こういうことがあった」みたいなこととか、ブチギレた話とかをしてたら、「あっ、アレン様ってこんなに素直で面白いんだ」ってみんなに受け入れられた瞬間があって。

 そっからですね。もうプツって糸が切れて今の状態になって、ほんとに何も戸惑ってない。

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©細田忠/文藝春秋

――くすぶっていた時代の自分を、今どのように受け止めていますか。

アレン 本来の面白い部分を見せられてないから、そりゃファンもつかなくて当たり前だよね、って感じ。だって面白くないもの。

 こんなに変な自分を出しても受け入れてくれるんだったら、なんであんなカッコつけてたんだろうって。くすぶってた時間を無駄とは思ってないんですよ。でも、もっと早く出しときゃよかったなってすごい思います。

「日本のシンガポール」出身地に対する想い

――本の中で、高知県出身であることも明かされています。

アレン それもこの数年で、本来の自分を出せるようになったことのうちのひとつです。でも、それでもやっぱり「高知」って断言はどこでもしてなくって、大体「デュバイ」とか「日本のシンガポール」とかって言ったりしてる。

 ファンの方も高知出身ってわかってるんだけど、「アレン様はシンガポール出身だもんね」みたいな感じ。

©細田忠/文藝春秋

――「老後は高知で過ごしたい」という、アレン様の高知愛にも驚きました。

アレン うん。あたし、もういうて東京の方が長くなってきましたけど、14歳で香川県の少年院に入って。

――少年院は香川だったんですね。

アレン はい。少年院って各県にあるわけじゃないんで、あたしの場合は香川だったの。

 で、それまで14年ぐらいずっと高知に住んでたんだけど、その14年間って、あたしの中でほんとにただただ、自分を出せなかった時代なのね。小学校もずっと自分を出せずにいじめや嫌がらせにあって、そっから新たに自分で道を切り拓こうと思って受けた中学受験も、合格したはいいけど、そこでも失敗に終わって……。とにかく本来の自分を出せない、失敗だらけの14年間だったんですよね。

――あまりいい思い出のない地だったと。

アレン 高知での幼少期の楽しかった思い出とかが思い出せないんだけど、大人になってから高知の楽しさを知りはじめたんですよね。家族もいるし、友だちもいるから、今、大人になってもっと高知を知りたいっていう気持ちが出てきてるって感じですね。だからゆくゆくは、「日本のシンガポール」で過ごしたいなって思ってるの。