俳優・歌手の杉良太郎氏は、長年にわたって福祉活動に尽力してきたことでも知られている。「福祉は一方通行だ」と語る杉氏が、それでも活動を続けてきた理由とは?

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〈杉の福祉活動は国内にとどまらず世界各地に及ぶ。特に、ベトナムでの活動は広く知られている。1989年、ハノイ市郊外にあるバックラー孤児院を初めて訪ねた杉は、その孤児院にいた4人の姉弟を里子にしたが、のちに里子の数は220人に膨れ上がる。〉

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 その子供たちももう大人になり、海外で働いたり、あらゆる方面で活躍している。結婚して子供が生まれた子も多いよ。だから僕には孫もたくさんいる。

杉良太郎 ©文藝春秋

活動を続けてきた理由

 福祉は一方通行だ。感謝を期待してはいけないし、期待したこともない。それに、どんなに頑張ったって満足できることはない。「俺にはなんて力がないんだろう」と無力感を覚えることの連続だ。ベトナムにだって孤児院は1つじゃないし、もっといえば困っている子供たちは世界中に存在している。

 同じハノイにあるグエン・ディエン・チエウ盲学校の支援を続けたり、ミャンマーでも1000人の孤児の面倒をみてきた。バングラデシュでは約50か所に学校を建てたけど、それでもまだ足りない。残念ながら僕個人ができることは限られている。

 それでも、活動を続けてきて良かったと思えることもある。その1つが、バックラー孤児院の子供たちの成長した姿を見ることだ。新たな家族を持ち、それぞれの道を歩んでいる彼らの姿が、僕に希望を与えてくれる。もう少し長生きしたら曾孫も見られるのかな……なんてささやかな楽しみも抱いているんだ。

〈長年にわたるベトナムでの功績が認められ、ベトナム政府から友誼勲章(外国人に授与する最高位の勲章)を2度、さらに労働勲章(ベトナムのために顕著な活動をした人に贈られる)を授与されている。労働勲章が外国人に贈られるのは極めて珍しいことだ。日本においてもその活動は高く評価され、日越・越日特別大使や、日・ASEAN特別大使などを歴任。大使としての活動の中心は文化交流だったが、政治・経済分野に引っ張り出されることもあった。

 2010年、尖閣諸島中国漁船衝突事件による日中間対立により、中国からのレアアースの輸入が停滞。当時の菅直人内閣で経済産業大臣を務めていた大畠章宏が「藁にもすがりたい」と頼ったのが、杉だった。〉

 連絡を受けて大臣室を訪れると、大畠大臣は切羽詰まった様子だった。