競馬業界では毎年約7千頭のサラブレッドが生産され、一方で約6千頭が引退するが、その多くは行方不明になっている。
犬や猫の殺処分問題などについて執筆を続けてきたノンフィクション作家の片野ゆかさんは、引退競走馬のそんな実情を知って大きなショックを受け、引退競走馬支援についての取材を始めた。その内容をまとめたのが、2023年12月に上梓された『セカンドキャリア 引退競走馬をめぐる旅』(集英社)である。ここでは同書より一部を抜粋して紹介する。
レースの最中に負傷してしまい、安楽死は避けられないと判断されてしまった競走馬・フロリダパンサー。どうしても諦められない馬主の林由真さんが必死にとった行動とその結果とは——。(全3回の2回目/続きを読む)
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競走馬としてのキャリアが閉ざされた瞬間
2019年2月7日15時50分、岐阜県・笠松競馬場。かつてオグリキャップなど数々の名馬を輩出したことで知られる地方競馬場では、ダート1800メートル・第9レースのゲートインが完了したところだった。
少しばらついた飛び出しのスタートから、馬番二番のサムライドライブに並ぶように、3番ヴェリテ、5番メモリージルバ、8番ハタノリヴィールの4頭が広がって先行した。その直後、内側から接近したのは、一番人気の9番フロリダパンサーだ。笠松競馬場のコースは、一周が1100メートル。サムライドライブが一馬身リードを取った中盤で、全体のペースは一瞬落ち着いたが、2周目に入るとメモリージルバが追い上げ、先頭争いは激しさを増していった。最終コーナーから、残るは直線のみ。そのとき、トップ集団にくらいつき続けていたフロリダパンサーが、突如ガックリと失速して後方へ消えていった。
大変なことになった! 馬主の林由真さんは、コース上で肢がぶらぶらになった愛馬の姿を見て血の気が引いた。なにをどうしたらいいかもわからないまま、とにかく馬運車に積み込まれるフロリダパンサーを必死に追いかけた。
獣医師の診察の結果は、右前肢の繫靭帯の断裂による予後不良――これは競馬業界で安楽死を意味する。調教師からそう告げられ、さらに獣医師から詳しい説明が続いたが、突然のことに林さんはとても受け止められなかった。しかし、調教師や獣医師、競馬場関係者などその場に集まる10名程のあいだには、「仕方がない」「そういうもの」というムードが色濃く漂っていた。
馬運車のなかでフロリダパンサーは、痛みに耐えながら三本肢で必死に立ち、瞳からは生命を諦めない凄まじいエネルギーを発していた。林さんはそれを見た瞬間、馬主として諦めることはできないと思った。だが目の前では、競走馬としてのキャリアが閉ざされた馬を送り出す作業が、今まさにはじまろうとしていた。