――脂が乗っているときにお店をたたむという決断は、なかなか理解されないことだとも思います。

村山 最初、役員に伝えた際は、「なんで辞めるのですか!?」と驚いていました。そういう状況になると、「明日から出勤しません」ではないけれど、スタッフの多くが“総上がり”といって辞めてしまうことも珍しくありません。役員には反対されたのですが、そうなっても早めに閉めることを伝えることが責任であり、また、全員が今よりも良い条件で雇ってもらえるためにも、お店が繁盛しているうちに決めるのが良いと考えていました。自分が新しい道を選ぶときは、それまで周りにいてくれた人を無下にしないこと。それって責任ですよね。当時、閉店をギリギリまで言わない店が多かったのです。私は閉める2か月くらい前から根回しするようにしました。銀座の場合は、もっと早くから伝えました。

© 原田達夫/文藝春秋

早稲田大学の夜間学部に合格

――勉強をしながら、店じまいを考える。タイトなスケジュールかつ、ものすごく頭を使う日々だったのではないですか?

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村山 自分の頭の中での考えは、すぐに決まるので、勉強したいといった好奇心、目標があると寝なくても平気なのです。それこそ、朝から晩までずっと働いてきた人生だったので、寝るのがもったいないとも思っていました。そういう自分も好きだったのです。

――一度決めたら突き詰めるという村山さんの性格を表していますね(笑)。そして、35歳のとき早稲田大学の夜間学部、第二文学部に合格します。なぜ早稲田を?

村山 大好きだった亡き父の出身大学でした。父は早稲田をこよなく愛していて、朝起きると校歌をよく歌っていたので、その影響でしょうね(笑)。主人は独立して東京に事務所を構えたので、私も上京しました。思う存分、大学生活を楽しむつもりだったのですが……鬱になってしまって。

©原田達夫/文藝春秋

通学するための電車に乗れなくなった

――北新地のオーナーママから学生、大阪から東京。生活が激変しています。

村山 お店を閉め、受験勉強も終わり、念願の大学にも入り、全部がすっきりしたからホッとしたのか、精神的にドーンと落ちてしまい。また、北新地時代の寝不足や裁判による心労など小さな積み重ねが、気が付かないうちに大きくなったのだと思います。今までは無理やりにでも奮い立たせていたけれど、それが出来なくなり電話にすら出れない、人とも喋りたくない。大学に通うために電車に乗っても3駅ほどで帰りたくなり降りてしまう。その影響で1年留年してしまいました。