――そのとき、ご主人さんはどういった声を村山さんにかけていたのですか?
村山 最初は何も言わなかったのですが、1年程過ぎた頃に、「陽さん、仕事せえ。自分が食べる分くらい自分で稼がんかい」と言われて。主人は、「陽さんが鬱やったら、全員が鬱や。そんなに動ける人のどこが鬱やねん」と言うのですね。確かに、主人が言うように既に私は動いてはいたのです。ただ、当時の日記を見返しても、ネガティブなことばかり書いており(苦笑)。大学では国際教育に関心を持ち、私にとって教育の現場はとても新鮮でした。でも、何をしていても気持ちは上向かないし、楽しく感じないのですが、とにかく動くことだけは心がけていました。いつか気持ちが前向きになるだろうと信じて。それで、ママ時代の貯蓄を切り崩してドバイで起業することにしたのです。
うまくいかなかったら、きちんと落ち込まないといけない
――たしかに、その行動力を目にすると、ご主人さんがそう言うのも理解できます。
村山 不思議と行動力はあったのですよ(笑)。ドバイでは、日本との中古車取引を行う貿易事業をしたのですが、上手くいきませんでした。環境を変えたいと思って、自分と水が合いそうなアラブ社会に関心を抱いたものの、仕事を理解出来てなく、自分が直接やり取り出来ない、人任せにしてしまうことは、商売にしてはダメだと学びました。水商売は、自分の目の行き届く範囲で仕事が出来るため、私には合っていた。一方、ドバイでの事業は、仕事を理解出来ていない上に、どこかお客様気分というか、外様として仕事をしているような甘さがあった。
一生懸命稼いだお金は老後のための蓄えだったはずなのに、興味本位だけで動いてしまった。若い頃から仕事をしてきて、お金に対してシビアに計画してきたはずでした。興味が先行し、準備と努力不足の状態で、「まだあるから大丈夫」といった慢心があると、無くなるまで使い切ってしまう。さらに、アフリカでは、マラリア対策の一環で、蚊の発生を抑制する製品の販売に7年間かかわったのですが、こちらも事業としては上手くいかなかったのです(苦笑)。きちんと落ち込まないといけなかったのですよね。ただ、ドバイ、アフリカでの10年間の経験は、事業としては失敗しましたが、人生経験としては貴重な体験となり、その後の人生に大いに役に立っております。
「陽さんは水商売以外では勝ち組になられへん」
――「きちんと落ち込まなきゃいけない」はとても深い言葉だと思います。
村山 切り替えることも大切だと思うのですが、しっかり落ち込んで、何がダメだったのか考えないと同じ失敗をしてしまう。落ち込めないってことは、私にとってはきちんと反省が出来ていないことなのです。主人と結婚する際に、お互いにそれなりの年齢なので、お互いの人生を尊重し、自由に生きようと話しました。主人も同感でしたが、私があまりにも自由過ぎて、心配なことも多々あったと思います。主人からの唯一指摘が、「陽さんは水商売以外では勝ち組になられへん」と。