銀座のママを経て、現在は奈良県御所市にある駒形大重神社の宮司を務める“異色の神職”がいる。幼少期に最愛の父を亡くした村山陽子さんは、家計を支えるために16歳で水商売の世界へ飛び込んだ。
酒乱でDVを働く新しい父との確執。29歳のときには、大阪・北新地で自らお店を構えるオーナーママにもなった。それにもかかわらず、どうして彼女は宮司になったのか。紆余曲折の人生を振り返ってもらった。(全3回の1回目/続きを読む)
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――村山さんが宮司に就任された駒形大重神社は、平安時代中期の古文書「延喜式」にも記される、1000年以上の歴史を誇る古社だそうですね。
村山さん(以下、村山) もともと2社だったのですが、駒形神社と大重神社が明治40年に合祀され、大重神社は「葛木大重神社」として、延喜式に記載されている古社です。 私が就任する以前は、近くの神社の宮司様が50年間兼任されていました。宮司になる前に、何度か駒形大重神社を参拝したことがあるのですが、いつ来ても掃除が行き届いていたのです。どうして神職がいないのに、境内がきれいなのかと不思議に思っていました。宮司に就任後、氏子総代に尋ねると、80歳を過ぎた前氏子総代が毎日お掃除をしてくれていた事を知りました。地域の方々が大切に守ってきた神社なのだと思い、大きな責任を感じました。
――駒形大重神社は地域のコミュニティとして欠かせない場所なのですね。
村山 愛されている神社だと思います。宮司就任後に、摂社5社(本社に付属し、その祭神と縁故の深い神をまつった神社)を約150年ぶりに改修いたしました。その際には特別な神事をいたします。社殿の中にいる神様に別の仮の社殿を準備し、新しい御社が出来るまでのあいだ遷っていただく「仮殿遷座祭(かりでんせんざさい)」を執り行ないます。神職となり、こうした特殊な神事を経験できることは本当に有難いことでした。
小1で父が他界
――どうして銀座のママから神職になったのか――については後ほどじっくり伺わせてください。村山さんは、元々は長野県の生まれだとお聞きしました。
村山 長野県松本市出身で、小学校1年生の時に父が亡くなりました。母の姉が奈良県に住んでいたため、姉を頼りに奈良のアパートへ引っ越したのです。母はアパートの向かいに住んでいた年下の男性と交際が始まり、入籍はしなかったのですが一緒に暮らし始め、2人目の父となりました。2度目の父と一緒に住む際に、母が私に言ったのは「私は私だから」と。その言葉が印象的で、母の選択に対して子どもながらにすっと受けいれられました。次に引っ越した先の自宅が、橿原神宮の近くだったので、子どものころは橿原神宮が木登りの遊び場でした。