銀座のママを経て、奈良県御所市にある駒形大重神社の宮司を務める“異色の神職”がいる。村山陽子さんは29歳で大阪・北新地に自分の店を持ち、学び直しで早稲田大学へ入学した。

 50歳のとき再び銀座でママとなるが、神社に関心を抱き、國學院大学神道学専攻科へ通うようになる。二つとない経歴を持つ宮司だからこそ、「自分にしかできないことがある」。万葉の地、奈良の古社の宮司としてやり遂げたいことを聞いた。(全3回の3回目/最初から読む

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©原田達夫/文藝春秋

銀座のママをしながら神職の道を...

――村山さんは銀座のママをしながら、國學院大学神道学専攻科へ通うようになります。神職の資格を取得するつもりで入学されたのですか?

村山さん(以下、村山) 「神職になる」としっかりとした意思を持って入学しました。先述したように、私は一度決めたら突き詰める性格。これまでがそうだったように、神社に強い関心を覚えるようになって、だったら神職の資格を取ろうと。私は2020年、54歳のときに神道学専攻科へ通い始めたのですが、いずれはお店をやりながら、神社のお役に立てたらと考えていたのですね。

――当初は、“ママをやりながら”を想定されていたのですか!?

村山 そうなのです。60歳までお店を続けたい思いもありましたし、いろいろな働き方が出来るのではないかなって。ただ、國學院大学に入って神職の資格を得るためには、出身地の神社庁の推薦が必要になります。これもご縁なのですが、中学校からの幼馴染が銀座のお店に来た際、「國學院大学を受けたいのだけど、神社庁の推薦が必要で」と話をすると、「知り合いに宮司がいるから推薦を取れるか聞いてみる」と相談に乗ってくれたのですね。お陰で推薦を戴くことができ、私は國學院大学で学ぶ機会を得ました。このときの幼馴染は、いま宮司をしている御所の方であり御縁を感じます。いざ通い始めると、銀座のお店、大学、そして神社での奉職、両立するのは大変でしたね。

國學院大学時代の村山さん=本人提供

コロナ禍の思わぬ恩恵

――奉職というのは、かみ砕いて言うなら教育実習的なことですか?

村山 私の場合は、似ているかもしれません。私は、茨城県龍ケ崎市にある神社へ通い、月に数回ほどお掃除をし、地元のお祭りでご奉仕しました。それ以外にも、たまにですが別の神社に助勤をしておりました。

――この特異な二足のわらじを、お店のスタッフの方は知っていたのですか?

村山 知っていました。「ママ、大学に通いながら神社のお手伝いもしているなんてすごい!」といった感じで応援してくれました(笑)。お店でお客様のご接待をしながら、ちょっと時間を見つけては更衣室に入り、勉強しておりましたが、正直、体は悲鳴を上げていました。ところが、コロナ禍の間はオンライン授業だったので、かなり負荷が軽減されました。リモートが普及していなかったら、神職の資格を取得出来ていたかは分からない……。