――すごいことを言いますね(笑)。
村山 はっきり言うのです(笑)。「陽さんは水商売では上手くやれるけど、他では上手くできないので、もう一度水商売をやればよいのに」と。2013年、私が48歳のときです。突然、私の中で何かがパーンと弾ける感じがして、その瞬間鬱が抜けたのです。一気に活力が戻り、北新地を辞めるときに何となく、「50歳になったらもう一度お店をしよう」ということを思い出し、意欲が湧いてきて「あと2年で50歳だ。よし、銀座でお店をオープンする準備をするぞ!」と。北新地時代は猫を被っていたとお話ししたじゃないですか? ずっと疑問に思っていたことがあって、クラブってどうしてこんなに高いのだろう、自分はこの金額に見合った仕事が出来ていたのかと。今度お店をするときは、自分に見合った良心的な価格で、本当に好きなお客様と好きなスタッフだけで、小ぢんまりとしたお店をやってみたい、と思っていたのです。
50歳で銀座のママに
――そして、実際に50歳のとき、銀座にクラブ「榑沼(くれぬま)」をオープンします。馴染みのある北新地ではなく、どうして銀座にしようと思ったのですか?
村山 新しく始めるからには、自分がワクワク出来る場所でしたかった。確かに、北新地にオープンすれば地の利もありますし、メリットもあります。でも、“トライしたい”と思える場所が銀座だったのです。当然、開店準備の資金も調達しなければならない。御贔屓のお客様もほとんどいない。そういう状況でも自分を奮い立たせるには、本当に自分がやりたい場所でやるしかない。最初のお店は17坪で、1年くらいは赤字でした。それでも、結果的に銀座にお店をオープンしたことで、そこで出会ったお客様から、「再来月、神社検定を受ける」という話をお聞きし、今に繋がります。
小さな頃から神社仏閣が大好きで、長野県松本市の自宅のすぐ近くにある深志神社では毎日遊んでおりました。後にこの深志神社との深い御縁が復活するのです。また、銀座でお店をする前から伊勢神宮には、年間5回~8回は参拝しておりました。2013年に、伊勢神宮で20年に一度斎行された、式年遷宮後に神宮で正式参拝をしたことがきっかけで、とても感銘を受けました。そして、神社検定の存在を知り、3級、2級、1級は2回落ちたのですが、その試験会場が國學院大學だったのです。何度か大学に行っている内に、学生さんが白衣(神職の普段着)を着て歩いている姿を見て、「ここは神職さんの勉強する大学だなあ、私もこんなに勉強するなら、神職になれるかも」と思い始めたのです。と言っても、この頃はまさか自分が宮司になるなんて思ってもいません(笑)。人生は、本当に何が起きるか分かりません。