1ページ目から読む
2/3ページ目

 ’24年7月に30歳を迎え、昨季までに2度の右肘手術を受けた大谷にとって、今後つねに第一線でプレーできる保証はない。しかも自らの高額年俸がネックとなり、チームが戦力補強を躊躇(ためら)うようであれば、勝ち続けることは難しい。自ら申し出た年俸の後払いこそ、長年、勝つことに飢えてきた大谷の「野球欲」の顕著な表れだった。

 この間、すべてが順風満帆だったわけではない。ドジャース入団後のキャンプ中には結婚を電撃的に発表するなど、公私ともに新天地での再出発を期したはずだった。ところが、3月に韓国で行われた開幕シリーズの際、それまで全面的なサポートを受けていた元通訳・水原一平氏の違法賭博事件が発覚。球界を揺るがす大騒動へと発展した。

 事件発覚直後はメディアやSNS上で様々な憶測が飛び交い、いかに大谷といえども野球に集中できる状況ではなかった。それでも3月末には自ら会見を設定。高額な金銭の動きや賭博行為への自身の一切の関与を否定した上で、それまでの経緯と複雑な胸の内を、「言葉にするのが難しい。気持ちを切り替えるのは難しいですが、シーズンに向けてまたスタートしたい」と明かし、騒動に区切りを付ける形でリセットした。

ADVERTISEMENT

激動のなか結果を残し、迎える来季

 右肘手術、移籍、結婚、元通訳の違法賭博事件など、目まぐるしい環境の変化を経ながらも、’24年の大谷は前人未到の記録を残し、公式戦162試合と初のポストシーズンをWSまで戦い抜いた。

 その間、投手としてのリハビリも継続してきた。3月末から2日に一度の投球プログラムを開始。グラウンドでの近距離のキャッチボールから、8月末に初ブルペン入りした後も、強度と距離を慎重に少しずつ増していく作業を繰り返した。打者として豪快なアーチを架ける試合とは別人のような地味な歩みだった。

 公式戦終了後、大谷は真美子夫人だけでなく、ファンの間でも人気を集める愛犬デコピンの存在、周囲のサポートに対する感謝の思いを口にした。