冒頭、主人公が悪態をつきながらマッチングアプリで男を漁っているシーンから小説は始まる。矢継ぎ早に繰り出されるクリティカルな悪口の数々は、読んでいて爽快になるほどだ。
「最初はとにかく、嫌なことをいっぱい書こうと思っていました(笑)。賞に投稿した作品で、こんなに多くの人に読まれることになるとは考えてなくて。読んだ方から嫌われるんじゃないかと心配しましたが、意外と、悪口を言わざるを得ない状況にある語り手の裏側を深く読んでくれる方が多く、安心しました」
そう語るのは市街地ギャオさん。晴れて太宰治賞を受賞したのが『メメントラブドール』である。本作の主人公はいくつかの顔を持つ。平日昼間はSIer(システムインテグレーター)企業で「忠岡」の名で働き、夜は男の娘(こ)コンカフェ(コンセプトカフェ)でバイセクシャル設定の「うたちょ」として店に立つ。セクシュアリティはゲイで、マッチしたノンケの男と会っては「たいちょー」の名でSNSに性行為の動画を投稿している。
「冒頭のシーンを書いた後に、この人は普段どんな生活をしているのかを考えました。マッチングアプリの中では男性でも女性でもない、性別がない人として承認を受けている人物なので、ならば普段は男性性と女性性をそれぞれ要求される場に置くのはどうかなと。それで、男性性が優位に立つマッチョな考え方が流通するエンジニアという職種で働き、一方で女性性を発揮する場としてコンカフェを書こうと考えました」
ガクチカ、AWS、オリシャンなど一般にあまり耳馴染みのない単語が頻出する本作。しかし、それらを気にせずに読み通せてしまうリーダビリティの高さも備えている点が非凡だ。
「インフラエンジニアの人たちがどういう仕事をしているかは、実際にその職業の友人に聞きました。専門的な用語を自分で理解せずに使ってしまうと背伸びしている印象が出るので、そこはその友人に確認してもらったり。小説家は様々な人の人生を描く必要がありますが、自分の人生は1個しかないのが難しいところですよね」
男の娘コンカフェについては説明が必要だろうか。「男の娘」は若い女性の姿をした男性のこと。男の娘を目的に来店する客層には男女が入り混じり、様々なセクシュアリティが交わる場として小説内で機能している。いくつものペルソナを持つ主人公だが、カフェ内部で裏アカの動画を晒されるなど、徐々にハレーションが起こり始め――。
「場所によって顔を使い分けるのは、誰もが当たり前にやっていることです。その中でも、それぞれの世界を平等に描くことを自分は意識していたんだと、書き終えてから気づきました。面白いのは作品の感想をもらったりメディアで紹介していただく際に、どの名前で主人公が呼ばれるかが、不思議と1個に偏らなくて。『うたちょ』と呼ぶ人も『忠岡』と呼ぶ人も『たいちょー』と呼ぶ人も一定数いる。その選択に、読んでくれた方の見てきたものが反映されているのかなと勝手に想像しています」
ペルソナという点では、市街地ギャオという独特の筆名もまたある種のペルソナなのでは? 市街地さん自身、普段は会社員として企業に勤めているという。
「でも今は、職場でもギャオって呼ばれてます(笑)。ペンネームである程度、自分が小説でどういう方向を目指していきたいかを示したくて。人の営みが交差する場所で突然叫び出すような小説を書きたいと思い、この名前になりました」
しがいちぎゃお/1993年、大阪府生まれ。大阪府在住。会社員。2024年、「メメントラブドール」で第40回太宰治賞を受賞しデビュー。同作は同年、第46回野間文芸新人賞の候補作にも選ばれる。