いっそ老いに挑んでみたい
「死」とは何か。この世の誰一人として、未だかつて体験したことのない「死」をなぜ恐れる必要があるのか。老いがもたらす、孤独感と肉体の衰弱。老いの中でそれとどう向き合うか。死を無視する強い意志、新しい生き甲斐を自ら作り出す必要があるのかもしれない。死については誰も知らない。最後の未知、最後の未来、死を無視する強靱な意志以外ない。
80歳となったいま思う。自分の目の前に進行していることは何なのか、自分の身に何が起ころうとしているのか。病院で親しい家族に見守られ「お父さん死なないで」と泣かれるくらいなら、むしろ孤立無援の死を選びたい。老いがもたらす不安や焦りを防ぐより、いっそ老いに挑んでみたい。
新しい生き甲斐が必要だ
東京に戻って2年たつが、新しい生き甲斐を求めて自分の暮らしを活性化したいと思う。それがたとえ一見、退屈なルーティンのようなことに思えても、反復することによって生き抜く勇気が必ず湧いてくるはずだ。
たとえばロフトグループは、いまは若い経営者に任せているが、その中の仕事の一つに映画製作がある。これに関しては私もかなり口を出すようにしている。映画というのは、いわば芸術作品であり、これは人任せにはできない。自分で良いものを目指して作っていくしかない。
80歳になっても充実して生き抜くには、生き甲斐こそ必要だ。そんな大事なことを猫の死は私に教えてくれたと思う。ペットロスはもう沢山だと思うのだが、悲しみを癒すには、やっぱりまた猫を飼うしかないのだろうか? それでも私のほうが早く亡くなってしまうのではという心配はあるのだが。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『文藝春秋オピニオン 2025年の論点100』に掲載されています。