2024年12月、ユネスコ無形文化遺産に日本の「伝統的酒造り」が登録されることが決定された。400年続く老舗酒屋「豊島屋」の家系に生まれ、「飲むみりん」など斬新な商品を企画する「神田豊島屋」の若社長・木村倫太郎さん(37)も登録決定に喜ぶ。
しかし、木村さんはもともとお酒が苦手だったという。なぜ、お酒が苦手なのに家業を継いだのか? そして「豊島屋」が生んだ「誰もが知っている日本文化」とは? 話を聞いた。
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お酒はあまり得意じゃなかった
――日本の「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産への登録が決定しました。創業400年超の老舗酒屋「豊島屋」の流れを汲む酒屋の店主として、どう感じましたか。
木村さん(以下、木村) 数年前から「登録されるかもしれない」という噂は聞いていたので、今回のニュースは率直に嬉しいですね。2013年に和食が同様に登録されたときは、海外からの注目もあって和食業界が盛り上がっていたので、日本酒もそうなってくれればいいなと。今回は麹を使った酒造りが登録対象になっていて、日本酒や焼酎、泡盛が代表的ですが、豊島屋酒造は東京で唯一「みりん」を作っているメーカーなので、日本酒と同時にみりんも盛り上げていきたいです。
――木村さんは現在37歳。若くして社長をされていますが、元々会社を継ぐ予定はなかったと聞きました。
木村 この神田豊島屋は元々母の会社でした。母からは会社を継がせる気はないと言われていたし、それまでお酒はあまり得意ではなかったので、継ぐなんて思ってもみませんでした。父は技術系の会社を経営しているのですが、とあることがきっかけで父の会社を継ぐことも諦めてしまいました。
――どうして諦めてしまったのですか?
木村 父は典型的なモノづくりの人で、仕事の合間に机や椅子などを作ったり、DIYがとても得意でした。私も小学校のときから手伝わされてきたんですが、あるときベランダを作ると言い出して、20平米はある巨大なものをほとんど一人で作り上げてしまって。それを見たときに「なんでこんなことできるの?」と聞いたら、「いや、なんとなく工事現場見ていたら分かるじゃん」と言われてしまって。なので、この人の会社を継ぐのはやめようと思いました。こんなすごい父親と比べられたらたまったもんじゃないなと(笑)。
――家業ではなく、どんな道に進もうと?