リーマンショックで狂った社会人生活
木村 父には勝てないからサラリーマンになろうと思い、大学卒業後は人材会社に就職しました。ですが、入社前にリーマンショックが起こり、会社の方針で入社してすぐに関連会社へ出向することになりました。結局内定した会社では1秒も働くことなく、出向先でもモチベーションが上がらない日々でした。「このままではダメだ」と思い1年で退社し、青山学院大学のMBA(経営管理修士課程)に進むことにしました。
――MBAではどんなことを?
木村 マネジメントゲームという授業があって、たとえば「時計会社を経営せよ」というお題が与えられて、どの国の市場にどの時計をいくらで売るか、マーケティング費にいくらかけるかということをエクセルに入力していくんです。すると、今期のあなたの利益はこうでしたと成績がかえってきて、それぞれの数値を決めた理由を説明する場があるのですけど、その相手が一部上場企業の役員や部長級の人で、ガンガン突っ込んでくるんですよ。その授業はうつ病になったり救急車で運ばれる人が出るほど厳しいものでした。
母が倒れ、家業を継ぐことに
――MBAを出てからは?
木村 建設系の企業に就職しました。MBAでは経営を徹底的に学びましたが、まだ経営者側に回るのは早いかなと。10年くらいはその会社で働こうと思っていたのですが、急遽母の会社を引き継がなければいけなくなり3年ほどで退社しました。
――なぜ急に家業を継ぐことに?
木村 実は母が病で倒れまして、先は長くないかもしれないという母の考えもあり、継ぐことになりました。母からいろいろな書類の場所を聞きながら、どうにかして会社を回そうと必死でした。そうして会社の歴史とかを色々と調べていくうちに、400年続く由緒ある会社なのだということをこのとき初めて知りました。
――歴史ある会社を引き継ぎ、苦労があったのではないですか。
木村 やはり職人たちが中心の会社なので、彼らと会話ができるレベルまでお酒の知識を集めるところからでしたね。しょっちゅう酒蔵などに顔を出してコミュニケーションを取ることを意識していました。
――元々お酒はあまり得意ではなかった。
木村 全く飲めないわけではないんですけど遺伝子的にはかなり弱い方で、私の姉なんかチョコレートボンボン1個でもう顔が真っ赤になるほどの弱さです。多分こういう家に生まれていなかったらお酒関係の仕事には就いていなかったでしょうね。