「父になり 早く下りたい 吾を知る」
ヒマなときには雪洞内で川柳を詠んだりもする。ノートとペンだけで時間をつぶせる川柳は、孤独な環境下での貴重な娯楽だ。あれこれ思いを巡らし、言葉を選ぶ作業は、刺激の少ない雪洞内で自分を見つめ直す機会にもなるようだ。6年前に娘が生まれて以来、こんな言葉が出てくるようにもなった。
遠く離れた放送局から入ってくる英語のラジオ番組も大きな楽しみのひとつ。カントリーミュージックやジャズを好んで聴いているのだが、日本にいるときより本場アメリカの音楽トレンドに詳しくなった。誰もいない山中にこもっているというのにおかしなものである。
そんな日々が続き、日程の半分しか行動できていない。しかしそれは想定内のこと。山頂に達することができるかどうかは運次第だが、まあなるようになるのだろう。
「お父さん、死んだ」「え? なに?」「お父さん、死んだ」
ところが今回、栗秋は軽い異変を感じていた。登山序盤からどうも体調がすぐれない。下痢が続いており、こんなことは今までになかった。雪洞でじっとしていると耳鳴りがし、食欲もいまひとつだ。頭がボーッとする感覚もある。
だが熱はない。風邪をひいたわけではなさそうだ。体調が悪く感じるのは雪洞にこもっているときだけで、天気が回復して行動している間は不調は消える。バテやすいようなことも特になく、体力はいつもどおり十分に感じる。
何か変な気もするが、考えてみれば自分ももう41歳。長年登山を続けていればこういうこともあるのだろう。さして気にとめることはなく、栗秋は雪洞内で夕食のパスタを食べ始めた。明日も天気回復の見込みはない。ここでの巣ごもりはまだしばらく続きそうだ。そんなことを考えていた次の瞬間、栗秋は突然、“落ちた”――。
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そのとき、福岡に住む栗秋の娘・蒼子(当時6歳)は「お父さん、死んだ」とつぶやいた。
「え? なに?」
栗秋の妻・聖子は娘の唐突なひと言に訳もわからず聞き返した。
「お父さん、死んだ」
蒼子はそう言うばかりである。アラスカにいる夫のことを思うと何か不吉なものを感じはしたが、意味がわからない。
年端もいかない子どもの言うことである。いちいち気にしていては登山家の妻などやっていけない。聖子はそれ以上娘に聞くことはせず、忘れるようにした。
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