江の島は、いうまでもなく湘南、いや関東地方を代表する行楽地だ。橋を渡った先の弁財天やしらす丼、浜辺には新江ノ島水族館、またヨットハーバーまである始末。まあここであれこれ語るまでもなく、江の島一帯には大小さまざまな見どころが目白押しだ。

 10年以上前だったか、取材で真夏の江の島を訪れたことがある。そのとき、10人ほどの見るからに屈強な外国人グループと出くわした。聞けば、「アツギ」から来たという。米軍厚木基地の兵隊さんだったのだろう。やたらとノリが良く、たまたま居合わせた日本人観光客とも一緒になって江の島を楽しんでいたのを覚えている。 

電車でもバスでもない...江の島観光“第3の足”とは

 そんなわけで、1年を通じて日本人にも外国人にも人気の江の島の町。せっかく藤沢までやってきたので、少し足を延ばして師走の江の島も歩いてみることにした。

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江戸時代には庶民の人気観光ルートのひとつに

 江の島が行楽地になったのは、かなり昔の話だ。信仰の地としての江の島は、なんと欽明天皇の御代からはじまったという。欽明天皇は聖徳太子のおじいさんだから、大化の改新よりも前のこと。陸繋島の江の島に、古代の人々も神秘的な何かを感じたのだろうか。 

 

 本格的に多くの人々が江の島を訪れだしたのは鎌倉時代。源頼朝が奥州藤原氏の調伏を祈願させて弁財天を勧請、以後鎌倉武士が足繁く通うようになる。時代が下って江戸時代には芸能の神さまという一面も持ち、歌舞伎役者も多く参詣していたという。そうして江の島には参詣者のための宿坊(旅館)なども生まれ、中にはいまも営業を続けているところもある。大山から江の島、そして鎌倉を巡る旅は、江戸時代の庶民の人気観光ルートになった。

鉄道が開業し、戦後ますます発展

 明治に入ると、それまでは徒歩しかなかった交通の便も向上する。1902年には藤沢・鎌倉との間を結ぶ江ノ電が開業。1929年には小田急江ノ島線も開業した。もともと藤沢は江の島に通じる江の島道が東海道から分かれる要衝。それが鉄道の時代にも引き継がれた形だ。

 そうした交通機関の充実にも助けられ、江の島は戦後になってますます発展。海水浴場が整備され、1954年には日本初の近代的な水族館・江ノ島水族館がオープン。ヨットハーバーもできて、1964年の東京オリンピックでヨット競技の会場にもなっている(2021年の東京五輪でもセーリング競技の会場になった)。