意図的でもなく悪気もなく、頭からすっぽり抜けちゃう
――でも、学校には校則や時間割など、ルールが溢れていますよね。
4s4ki だから学校とはすごく相性が悪かった。ランドセルや靴を忘れて学校まで行っちゃったり、反対に、上履きのまま帰っちゃったりしたし。あと、時間通りにあまり行けないし、提出物とか親への連絡帳なんかも、やるのも持っていくのも忘れちゃうし。もちろん子どもだし面倒くさいときもたまにはあったんだけど、ほとんどの場合、意図的じゃなければ悪気もなくて、本当に頭からすっぽ抜けちゃうんです。でも、すごく怒られていました。私、世の中の1998年生まれの人間の中で一番、小学校の先生から「もう帰れ!」って言われた子だったんじゃないかな。
――ちなみに「もう帰れ!」と言われたら、どうされていたんですか?
4s4ki 最初はマジで帰ってたんですけど、親にいっぱい怒られて。「ああ、ほんとに帰っちゃだめなんだな」と理解して。
――当時、先生もお母さんもADHD=発達障害という意識は全く無かったでしょうし、そもそもADHDという言葉自体も、今日のように知られていたわけではないし。
4s4ki そうですね。成績表にも、「いつも笑顔で挨拶の声が大きくて活発な子です」と書かれる一方、「周りが見えていない」とか書かれていましたね。あと、得意科目と苦手科目の差がすごくて。
いま思い返すと、あれって嫌われてたのかな?
――得意科目は何でしたか?
4s4ki 小学校のときは国語と音楽と図画工作。算数と理科が極端にできなくて、数学はガチで0点獲ったこともあったし、マジで分かんなかったです。
でも、ぶっちゃけ、私、小学生のときはそれも何とも思ってなかった。悪いとか、悲しいといった気持ちも無くて。でも、成長するにつれて、人と同じように物事ができない自分に落ち込むようになっていって……。
――中学から高校という思春期のあたりはどんな感じでしたか?
4s4ki 幸いなことに友だちは割といたんですが、いま思い返すと、あれってすごく嫌われてたのかな? とか、もしかしていじめられていたのかな? みたいなことも結構あって。当時は、「自分のことでみんなが笑ってくれてうれしい」としか捉えていなかったんですけどね。
相変わらず忘れ物もしちゃうし、時には忘れ物をしていることや、怒られたことすら忘れてしまうし。家族もやっぱり思うところがいっぱいあったようで、学生時代は険悪になった時期もありましたね。