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31歳で初めて務めた大トリ

 思えば、石川はすでに「津軽海峡・冬景色」や「能登半島」で、男と別れて一人で旅に出たり、危ない橋を渡ってでも男に会いに行ったりと、自らの意思をもって行動する女性の姿を歌っていた。彼女自身、そのときどきで自ら決断を下しながら、仕事と子育てを両立させる道を歩むようになる。1989年には結婚生活にピリオドを打つ。再出発とともに、なかにし礼が高橋治の同名小説をモチーフに書いた詞に三木たかしが曲をつけた「風の盆恋歌」を提供され、2度目のレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞、初めて大トリとなった紅白でも歌った。

石川さゆり「恋の盆恋歌」(1989年)。リリース当時31歳だった

 1997年にはデビュー以来世話になってきたホリプロから独立し、個人事務所を設けた。そのせいなのか一時、目に見えてテレビ出演が減り、この年の紅白には選ばれないのではないかとも一部ではささやかれた。しかしふたを開けてみれば、この年も無事に出場を果たし、再び「天城越え」を披露している。

「新曲を出しているのに」と思った時期も…

 石川は紅白で、2007年に「津軽海峡・冬景色」、2008年に「天城越え」を歌って以来、昨年まで17年にわたりこの2曲を交互に歌ってきた。この間、2021年には「津軽海峡・冬景色」とともに、ラッパーのKREVAとMIYAVIとのコラボレーションによる「火事と喧嘩は江戸の華」を披露しているとはいえ、基本的にこのパターンは崩れなかった。

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 これについて当人は、《私も「新曲を出しているのに、どうして?」と思った時期もありました。でもこの2曲を聴いて「ああ、大晦日だね。新しい年がくるね」と皆さんが感じてくださるなら、それはそれで嬉しいことだと思うようになりました。そういう歌があるのは、歌い手として幸せなことです》と、現在では肯定的に捉えているようだ(『婦人公論』2024年1月号)。

©文藝春秋

「今歌わずして、いつ歌うんだと」

 筆者の個人的な思いをいえば、彼女の故郷である熊本で大地震が起こった2016年の紅白で「火の国へ」がどうして選ばれなかったのかという気もする(この年には氷川きよしが熊本城からの中継で「白雲の城」を歌っているとはいえ)。ほかにも、2011年に東日本大震災の直後、彼女が被災地を巡るなかで宮城県の東松山で出会ったという「浜甚句」をもとにした「浜唄」(2012年)など、例の2曲以外にも紅白で歌ってほしかったと思う歌は少なくない。

 それだけに今回の紅白で「能登半島」を歌うことは異例であり、当の石川もリハーサル時の会見で《今歌わずして、いつ歌うんだと。とにかく能登の皆さんに元気になっていただきたい》と意気込んだ(「朝日新聞デジタル」2024年12月29日配信)。被災地に彼女の思いが届くことを願わずにはいられない。

2018年「紅白歌合戦」リハーサルでの石川さゆり ©文藝春秋