1970年代初頭、ひとりのギリシャ人監督がミシシッピ・デルタを訪れた。彼は伝説的なミュージシャンたちをインタビュー、その演奏を記録するばかりでなく、ブルースがこれほど心を揺さぶる文化的・政治的背景を探ろうとしたのだ。完成したドキュメンタリーはヨーロッパで高い評価を受けていたが、50年の時を経てついに公開された!
ブルースを知らなくても楽しめる
「ブルースは真実だ。俺はそう思う」
ミュージシャンのこの語りを聞いて「なるほど」と思えるほど、私はブルースのことをよく知るわけではない。でもこの映画の凄みは、ブルースを知らなくても十分楽しめるというところだ。
何しろ、登場するミュージシャン一人一人の表情が味わい深い。それぞれの人生が表れているのだろう。例えば農作業の傍ら歌を覚えたというマンス・リプスカム。撮影時すでに70代後半だった。顔には深いしわが刻まれ、目は仏像のように半分閉じて、まるで瞑想にふけっているようだ。中折れ帽を目深にかぶりギターを手にひょうひょうと歌う。
「恋心がバレてから彼女は俺に冷たい。彼女が去るたび思いが募る、一晩中。今、彼女は夢見てる、愛しい男を」
語りにも経験からにじみ出る奥深さがある。
「ブルースは心に浮かぶ感情なんだ。わかるか? 望みがかなわなくて辛いとか、金欠なのにあそこに行きたいとか、着る服がないとか。だけど究極のブルースは、愛する人に捨てられるってやつだ」
歌っているのは酒、女、カネ
小児まひで右足が短かったというブラウニー・マギー。盲目のブルースハープ奏者ソニー・テリーと組んで多くの録音を残した。記事冒頭の一言も彼の言葉だ。
「ブルースの多くは酒、女、カネを歌ってる。人生に必要なものだからだ。なくては生きられない」
恋愛やお金は人生を彩ってくれるが悩みの元にもなるのは古今東西を問わない。それを歌うのがブルースだ。幼い頃から貧困の中で育ち、靴を盗んで刑務所へ。服役中にギターを始めたというロバート・ピート・ウィリアムズ。
「農場に出て一人で働いていると、いろんな歌が降りてくる。それをつなげて口ずさみ家で弾いてみる。どんなブルースでもだ。ギターを取って自分の気持ちを歌うんだ」
自宅の台所で妻を前にこんな風に歌い出す。
「なあ、お前。なんでそんなに冷たい? なんでつれない? ずっと尽くしてきた。こんな仕打ち、ないだろ」