月曜から日曜まで、ほぼ休みなく1日7、8時間のステージが、世界一のロックバンドの礎を築いた。ブレイク前のザ・ビートルズの異国での修行時代について、貴重な証言でつづったドキュメンタリーを、ビートルズ・ファンのジャーナリスト・相澤冬樹がレビュー!
◆◆◆
リヴァプールで生まれ、ハンブルクで育った
リヴァプールやハンブルクのダンスホールで僕らが生み出したものは素晴らしかった。ストレートなロックンロールの演奏だ。僕らはリヴァプールで生まれ、ハンブルクで育ったんだ。
ジョン・レノンのこの言葉が映画のストーリーを貫いている。ビートルズが世界一のバンドに育つきっかけを作ったのは、ハンブルクでの過酷なライブだった。
リヴァプールとハンブルク。この2つの都市には共通点がある。それぞれイギリスとドイツを代表する港町であること。大勢の船乗りが海外の最先端の文化を持ち込んだこと。ブルースやロックンロールがアメリカからもたらされ、流行の最先端を走った。ビートルズのメンバーはこうした空気を吸って育ち、この街でロックに目覚めた。10代の多感な時期に「自分の心に届いた唯一のものがロックンロールだった」と回想するのもよくわかる。
終戦から15年、かつての敵国から来た誘い
一方、彼らが生まれたのは1940年から43年にかけて。これは第二次世界大戦のさなかだ。イギリスとドイツが戦う中で、リヴァプールもハンブルクも激しい空襲に見舞われた。その戦争が終わって15年。ハンブルクのクラブ経営者からまだ十代のビートルズに出演のオファーがあった。かつての敵国からの誘いだが、この当時、流行りの音楽を求めるハンブルクのクラブがイギリスのバンドを招くケースが相次いでいた。ビートルズとしても望むところだ。だが彼らにはドイツに渡るお金がない。そこで当時のバンドマネージャーがミニバンを出してメンバー全員を乗せ、陸路と船でハンブルクまでたどりついた。1960年8月のことだ。