トラブルでイギリスへ強制送還
ところが、彼らが人気を集めていることに気づいた別のクラブから出演依頼が届いた。これをきっかけに巻き起こるトラブルが克明に描かれている。結論として一部のメンバーが強制送還され、ポール曰く「手錠でつながれ囚人のように飛行機に乗せられ」る羽目になる。
それでもこの時の経験は楽しくてたまらないものだったという。翌年、別のクラブの招きで再びハンブルクへ。またも長期間長時間の連続ライブ。当時のスケジュールを見ると月曜から日曜まで休みなく、ほぼ深夜2時まで7~8時間演奏している。こうした過酷な体験からステージを盛り上げる技術を身に付け、人をひきつけるコツを徐々に学んだという。
彼らはその後もハンブルク行きを繰り返し、1962年の大晦日にもハンブルクでライブをしている。その11日後、リリースした『プリーズ・プリーズ・ミー』が最初のナンバーワンヒットに輝き、世界で最も有名なロックバンドとしてスターダムを駆け上がっていく。
ビートルズはいかにして世界を征服したのか? 当時のバンドマネージャーはこう証言している。
「まずハンブルクに行って週7日働く。週末の演奏時間は7~8時間」
過労死レベルで、労働条件としてあってはいけないレベルだ。だが彼らがそこを乗り越えたのはなぜだろう? 一つのヒントとして「ストリートの大学」という言葉が出てくる。音楽的な意味だけではなく、街全体が醸し出す雰囲気。世界で最もいかがわしいと言われる歓楽街で酒と薬を覚え、ストリッパーの彼女から恋の手ほどきを受ける、刺激的な毎日。
「俺たちはただの枷の外れたガキだった。大きな学びの場だった」
“最も厳しい学校”が彼らに自信をつけさせ、ビートルズを育てたのだろう。
『NOハンブルクNOビートルズ』
監督:ロジャー・アプルトン
2024年 / イギリス / 57分 / 原題『No Hamburg No Beatles』 / 配給:NEGA ヒューマントラストシネマ有楽町、池袋シネマ・ロサ、アップリンク吉祥寺ほか全国公開中