のんはかつて能年玲奈だった。そのことを2025年のいま、どれだけの人が認識しているだろうか。事務所を変わる際、能年玲奈からのんへと改名したのは2016年で、もうすぐ10年になろうとしている。それだけ経つと、もしかしたら改名したことを知らない人もいるのではないだろうか。

のんさん ©時事通信社

 芝居に歌に創作活動にと活躍しているのんはのん、そう思っている人もきっといるだろう。その一方で、能年玲奈時代の作品に朝ドラこと連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)という大きな出世作があり、本作の彼女を説明する原稿ではたいてい役名に「アキ(能年玲奈 現:のん)」という注釈が入る。そもそも本名ということもあって、芸名を改名しても、能年玲奈が消えることはない。

 いずれにしても、名は体(たい)を表すと言うように名前とはアイデンティティだ。ジブリのヒット作『千と千尋の神隠し』は名前を奪われたヒロインが名前を取り戻す冒険譚で、名前とは物語の題材になり得るほど大事なものなのである。ちなみにあれは「せん」で、のんは「のん」。

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「これまでで最も性格の悪い役」を喜ぶ

 改名して活動を続けるのんが映画『私にふさわしいホテル』(原作:柚木麻子、監督:堤幸彦)で名前を変える役を演じた。主人公・中島加代子は文壇で生き残るために中島加代子→相田大樹→白鳥氷→有森樹李と自ら名前を変えていく。大御所作家・東十条宗典(滝藤賢一)が彼女の作品を酷評したせいで鳴かず飛ばずとなった加代子(筆名・相田大樹)は、しがらみから逃れるために別人として新たな作家人生を歩むことにする。この役についてのんは「これまで演じたなかで最も性格の悪い役」と認識し、それを演じられたことを喜んでいた。

のんさんが演じた中島加代子 『私にふさわしいホテル』公式Instagramより

 のんの言うように加代子は性格が悪い。東十条を恨み、因縁の争いを繰り広げながら、作家としてのし上がっていく執念は凄まじいものの、観客としてはそれを好意的に捉えることはやや難しい。老作家を陥れていくその姿は偏執的で、行き過ぎれば、スティーブン・キングの『ミザリー』のようなキャラになる可能性を秘めている。だが柚木麻子の原作小説は加代子の毒をあっけらかんとポップに書いていて、それが堤幸彦の得意とする人を食ったようなコメディ演出との相性が良く、肩の力を抜いて笑って見ることができる映画になっていた。98分の潔い短尺なのもちょうど良かった。

 柚木麻子は映画のパンフレットでの筆者の取材に「日本のフィクションにおける女性小説家は不器用でイノセントに描かれがちですが、私はそういうふうにしたくないと思って加代子を書いていたので」と語っている。確かに加代子には健気さ、謙虚さがこれっぽちもなく、自分に自信があって邁進し続ける。

 彼女の作品が東十条に酷評されたことは同情に値する。が、だからといってそんな強引な復讐の仕方はありなのか?と首をかしげざるを得ない。文壇の古く偏ったしきたりによって理不尽な目に遭う悲劇のヒロインに成り得る設定だが、加代子は決してそうならない。既得権益をふりかざす権力者に正義の鉄槌を下すのなら喝采できるのに、あくまでも私的な恨みによる復讐に終始しているため、次第に老人虐めにも見えてこないこともない。でもそれはあえて描かれたものなのだ。