小学5年生のときに、母親の交際相手から性的虐待を受けた橋本なずなさん(24)。幼い頃に“おぞましい被害”に遭った彼女は、成人後もトラウマやフラッシュバックに苦しめられ、2度の自殺未遂を経験しているという。

 現在は「性犯罪が少なくなる社会」を目指して自身の過去を赤裸々に発信し、性的虐待の実態を伝えている。橋本さんはどのように自身の“心の傷”と向き合ってきたのか。日本の性被害の実情にどんな思いを抱いているのか。話を聞いた。(全3回の3回目/1回目から読む)

小学5年生のときに性的虐待を受けた橋本なずなさん ©山元茂樹/文藝春秋

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性的虐待を受けたことを、母に知ってほしかった

――性的虐待を受けたことを母親に言わなかったそうですが、打ち明けたのは大人になってからですか。

橋本なずなさん(以下、橋本) 母が初めて知ったのはおそらく、2021年、私の記事がニューヨーク・タイムズに掲載されたときです。母の目にも入ることを承知のうえで取材を受けました。

 心のどこかで、性的虐待を受けたことを母に知ってほしかったんだと思います。でも、自分から改めて伝えられなくて。ニューヨーク・タイムズの取材がいい機会でした。

――その記事を見て、母親はどんな反応を。

橋本 記事を見た母から、何かを言われることはありませんでした。その後もいくつかのメディアに取材してもらって、そのたびに性的虐待の話をしたんですけど、それでも母はその話題に触れなかった。

 でも、あるテレビの取材を受けているときに、母も同席していて、記者の方から性的虐待の話を聞かれたんです。そこで初めて、カメラの前で母の気持ちを聞けました。

 

「私は何も知らなくて、守ってあげられなかった。申し訳ない」

――何と言っていたのですか?

橋本 「私は何も知らなくて、守ってあげられなかった。申し訳ない」と言ってましたね。でも、その取材のあとに改めて「あのときはごめんね」と言われることもなく。

――カメラの前ではなく、2人でいるときに言ってほしかった?

橋本 正直、それはありますね。ニューヨーク・タイムズの記事を見たときに、母からの言葉がほしかった。でも何も言われなかったから、落胆が大きかったです。