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――それから、どうしたのですか。

橋本 「どうしたの? 大丈夫?」と聞いたら、母が「寒い、寒い」「頭も痛い」って言ったんです。でも特に目立った外傷はないから、最初は精神的な病気なのかなと思って。

 一旦、部屋のソファに座らせて話を聞こうと思ったんですけど、ずっと「寒い」と言っていて、「お風呂に入りたい」とも言い出したから、母をお風呂に入れて、その間に精神科のある病院に電話しました。

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 そこで母の状態を伝えたら、「救急車を呼んだほうがいいかもしれない」と言われたので、すぐに救急車を呼んで。救急搬送された病院で、くも膜下出血と診断されました。

 

「脳死状態になってしまい…」病院に運ばれてから約1週間で他界

――その後、すぐに手術をして。

橋本 検査をした翌日に手術をして、成功したんです。でも、そのあと脳梗塞になってしまって。そこから脳死状態になってしまい、病院に運ばれてから約1週間で亡くなってしまいました。

 母の容態が毎日変わるような状況だったので、休む間もなく。あっという間でしたね。

――気持ちの整理ができなかったのでは。

橋本 当時は、母の死に対する現実感が湧かなかったというか、これから永遠に会えなくなる、というのを理解できなかった。

 もちろん、目の前でまばたきもせず、手も握り返してくれない母が「死んだ」というのは分かっていたんですけど。母がこの世からいなくなったのを本当の意味で実感したのは、最近のことです。

 

母親と、人生をかけて性的虐待について話し合っていきたかった

――約1年経って、今は母親の死とどのように向き合っていますか。

橋本 今も、心にぽっかりと穴が空いている感じですね。これから人生をかけて、私が受けた性的虐待について話し合っていきたいと思っていたんです。

 母とは仲が良かったし、彼女を恨む気持ちもないんですけど、お互いに「しこり」みたいなものはあって。それを取り除いて、「あのときはごめんね」ってお互いを許し合いたかった。でも、それができないまま亡くなってしまったので、母に置いていかれたような気持ちです。

 ただ、母がいなくなって、私にとっての「ブレーキ」がなくなった部分もあります。これまでメディアで自分の経験を赤裸々に話したり、書籍を出したりしてきたけど、母はそれを全肯定しているわけではなかったんです。だから私も、少し気を遣っていたところがあったんですけど。

 もう母はいないので、これからはメディアへの露出を増やして、自分の経験や思いを伝えていきたいと思っています。