――もともと、どのような母子関係だったのですか。
橋本 母に恋愛相談できるくらいには仲良しでした。性的虐待を受けたあとも「お母さんのせいだ」と恨むようなこともなく。母はとても優秀な人で、私の憧れでしたし、大好きで尊敬もしてました。
それに、父と兄がいなくなり、祖父母とも絶縁状態だったから、私たちは2人で支え合って生きていくしかなかった。親子の心理的な結束力が強かったんです。ただ、その気持ちが強すぎた部分もあるかなとは思います。
「私、お母さんの恋人から性的虐待を受けてるんだよ」と泣きながら伝えたワケ
――その後、性的虐待について母親と話したことは?
橋本 取材のとき以外で、初めて母と性的虐待の話をしたのは、2022年頃でした。母の新しいパートナーが家に来るときに、少しの間だけ、私とそのパートナーが2人きりにならないといけなくなって。母に「彼と2人きりになってしまうけど大丈夫?」って聞かれたんです。
その言葉がトリガーになって、「私、過去にお母さんの恋人から性的虐待を受けてるんだよ。わかってるよね。それなのになんで、恋人と2人きりにできるの?」と泣きながら伝えました。
そしたら母も泣きながら「ごめんね」って。カメラの前以外で母が謝ったのは、そのときが初めてでしたね。
2024年1月に母親のくも膜下出血が発覚
――昨年、母親がくも膜下出血で亡くなったそうですね。
橋本 母が倒れたのは、2024年1月17日でした。私は前日の16日に、ひとりで淀屋橋のホテルに泊まっていたんです。翌朝チェックアウトして、11時くらいに家に帰ったら、家の鍵が閉まっていて。開けてもらおうと思って母に電話したら、「あっ、あっ」という声しか出さなかったんですよね。
最初は「寝ぼけているのかな」と思ったんですけど、10分待っても母が鍵を開けてくれる気配がなかったので、改めて電話して「何しているの?」と伝えたら、ドタドタッと階段を転がり落ちるような音が聞こえて、ドアの鍵が空いたんです。
大丈夫かなと思ってドアを開けたら、顔面蒼白の母がいました。変な臭いもして、それはあとからわかったんですけど、失禁していて。